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 彼は次で、東亞でも同じ樣に、經濟上の縺れ合つた關係といふ廻り道を通じて、早晚效果を生ずる利害協同體を支那と結成し始めてゐる。旣に同月彼は亡命ポーランド人の一論を所謂亡命政府として認めたが、この政府の唯一の政治的基礎は何んであるかと云ふと、ワルシヤワから持參したポーランド金貨の二、三百萬に過ぎない。又旣に四月九日には彼は更に進んでドイツの干涉を阻止すると云ふ白々しい口實を以て、ノルウエー及びデンマークでのクレデイツトを閉塞したのである。が然し、例へばデンマークの政府にしても、その資產運用については、ドイツからは注意さへされてゐない。況して管理されてはゐないと云ふ事は彼の充分承知な所である。

 種々な亡命政府の他にノルウエーの亡命政府も亦、彼に承認された。一九四〇年五月十五日にはこの外にオランダ及びベルギーの亡命政府も承認されて、同時にオランダ及びベルギーの資產が凍結されないのである。然しこの男の眞の氣持が現はれてゐるのは何んと云つても六月十五日附のフランス首相レノー宛電報である。この電報で彼はレノーに、フランスが對獨戰爭を繼續すればアメリカは對佛援助を倍加するであ