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戰してイタリーを防禦し且つ遂に勝利を博した時彼等の戰つたのは再びローマのためではなかつたのであつて、寧ろギリシヤ、ローマ的世界を包含せるヨーロツパのためであつた。

ヨーロツパの發達

 新しい人類文化のこの故國の土地へ次に侵入したのは遠くアジアより襲來した民族であつた。非文化的漂泊民の怖ろしい大群が奧アジアから現今のヨーロツパ大陸の中心地まで火を放ち殺戮を行ひつつ恰も神の懲罰の如く襲來した。次いでカタラニアの戰野でローマ人とゲルマン人が始めて協同し重大な運命戰を遂行しギリシヤ人に源を發しローマ人を經て今やゲルマン人にも影響を與へた一の文化を擁護した。

 ヨーロツパは育成した古代ギリシヤ及びローマから西洋が生まれた。而して西洋を擁護することは數世紀に亘つてひとりローマ人の使命のみならず特にゲルマン人の使命であつたのである。然し乍ら西洋がギリシヤ文化の照明を浴びローマ帝國の力强い傳