Page:Iki-no-Kozo.djvu/36

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浦屋の揚卷も髭の意休に對して『慮外ながら揚卷で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか』といふ思い切つた氣慨を示した。『色と意氣地を立てぬいて、氣立が粹で』とはこの事である。かくして高尾も小紫も出た。「いき」のうちには潑剌として武士道の理想が生きてゐる。「武士は食はねど高楊枝」の心がやがて江戶者の「宵越の錢を持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴ころ」「不見轉」を卑しむ凛乎たる意氣となつたのである。『傾城は金でかふものにあらず、意氣地にかゆるものとこころへべし』とは廓の掟であつた。『金銀は卑しきものとて手にも觸れず、假初にも物の直段を知らず、泣言を言はず、まことに公家大名の息女の如し』とは江戶の太夫の讃美であった。「五