Page:Iki-no-Kozo.djvu/102

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つては、特に狹義の詩のうちに、リズムの性質に於て、「いき」の藝術󠄃形式を索め得ないことはない。俳句のリズムと都󠄃々逸󠄄のリズムとが、「いき」の表現に對して如何なる關係を有するかは問題として考察することが出來る。しかし、いはゆる客觀的藝術󠄃にあつては、「いき」の藝術󠄃形式は必ずしも鮮明な一義的な形をもつては表はれてゐない。それに反して、主觀的藝術󠄃は具體的な「いき」を內容として取扱ふ可能性を多くもたないために、抽象的な形式そのものに表現の全󠄃責任を托し、その結果、「いき」の藝術󠄃形式は却つて鮮かな形をもつて表はれて來るのである。從つて「いき」の表現の藝術󠄃形式は主として主觀的藝術󠄃、卽󠄁ち自由藝術󠄃の形成原理のうちに索めなければならぬ。