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更に串木野、市來、伊集院、郡山、日置、吉利、伊作、田布施、阿多の十郷、七五村を管轄する日置、阿多郡役所を今の伊集院町に置き次いで同三十年四月郡制施行に當り、日置、阿多二郡を合して日置郡として郡役所は依然今の伊集院町に置いたが大正十五年六月三十日(此の年昭和と改元)郡役所を廢止せられた。(郡制廢止の令は大正十二年四月一日に發せられた)

 明治十一年伊集院郷中の十餘ヶ村に戸長役場を置き、同十七年官選戸長となり、戸長役場を四ヶ所に改め、同二十一年四月市制町村制を發布せられたので同二十二年四月伊集院郷を上、中、下の三村に分ち、下谷口、猪鹿倉、清藤、土橋、中川、竹ノ山、郡、徳重、大田、飯牟禮、古城、戀ノ原十二ヶ村を以て中伊集院村を設置した。是が現在の伊集院町の基である。次いで大正十一年四月一日町制を實施し伊集院町と稱することゝなつた。此の時に於ける町の面積は二方里二八六三である。

 明治十七年八月鹿兒島縣調査に依れば日置郡内のマチとしては伊集院マチマチ串木野町の三ヶ町にて驛としては伊集院驛、市來驛、串木野驛、郡山驛、吉利驛の五驛で宿場として賑はつたものである。この縣調査時に於ける伊集院郷内各村の戸口を記せば次の通である。

一、伊集院町(下谷口村の内)
戸數   百十五戸
人口   五百九十五人 男 三百人 女 二百九十五人
二、下谷口村
戸數   四百七十三戸 内 士族 百二十二戸  平民 三百五十一戸
人口 男 千百二十人  内 士族 二百七十八人 平民 八百四十二人
   女 千百三人   内 士族 三百二十人  平民 七百八十三人
三、清藤村
戸數   百十六戸   内 士族 二十八戸   平民 八十八戸
人口   不明
四、猪鹿倉村
戸數   五十八戸   内 士族 三十二戸   平民 二十六戸
人口 男 百三十六人  内 士族 七十五人   平民 六十一人
   女 百四十二人  内 士族 八十六人   平民 五十六人
五、土橋村
戸數   百七十七戸  内 士族 十六戸    平民 百六十一戸
人口 男 三百九十一人 内 士族 二十六人   平民 三百六十五人
   女 三百六十九人 内 士族 二十三人   平民 三百四十六人
六、竹ノ山村
戸數   八十六戸   内 士族 一戸     平民 八十五戸
人口 男 百九十三人  内 士族 一人     平民 百九十二人