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の仲哀天王〈一本王ヲ皇ニ作ル〉を御父とし、神功皇后を御母として生れ在ます體の義を以、人間なりと思ふと見えたり。然らばジヨセイフを父とし、サンタマリヤを母として、提宇子の本尊ゼズキリシトも誕生すと云ふ時は、是こそ人間のたゞ中よ、此方には人を天地の主しとはせずと云ふことなり。

提宇子の云く、ゼズキリシト〈一本因ノ上モノ字アリ〉因位〈一本位ヲ住ニ作ル〉の處は、本より人間にて、神の垂迹〈一本垂迹ノ下佛ノ字アリ〉の因位に異ならざれば、此段は互に暫くさしおく。神の本地も佛なれば論ずるに不及。法性法身の處とDsとたくらべ看よ。Dsデウスは右に云し如く諸善万德の源なり。法性は無智亦無德と說く。然らば無智亦無德の處より、如何として此天地万像を造作せん。其上今日の我等にある慮智分別は、本源に智德あらずんば何としてかあるべき。

破して云、提宇子は眞理を辨へず。法性は無智無德と聞ては不可也と思て捨之。Dsデウスに智德ありと聞ては可也と思て取之。まて、我汝に眞理を說て聞せん。先無の一字にも不可思議の謂れあり。無字鐵關千萬里〈一本里ヲ重ニ作ル〉。誰這字スト那邊とあれば、無の一字も提宇子底の人の知べき義にあらず。よし又無智亦無德の語、字面の如くにもせよ、無智無德こそ眞實なれ。Dsデウスを有智有德と云は落居すべからず。總じて智慧ある處には〈一本處ニハノ下憎愛簡擇ナクテ味ハズノ十字アリ〉、憎愛簡擇は人間の氣也。憎愛あるDsデウスならば、共に量るに不足。猶此理をば後にも敎ゆべし。去れば法性は大海の如く、是非有ことを說ずと云こそ眞實なれ。又Dsデウス