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其左右矣と宣玉ふに、盲人蛇にをじずとやらんに、提宇子〈一本子ノ下ヅレノ二字アリ〉の口にかけて何かと申すは、怖し々々、誠に舌を拔るゝの業を招く者なり。日本は神國、東漸の理に依ては佛國とも云べし。さればにや、佛〈一本佛ノ下神ノ字アリ〉を駟詈する提宇子は、當來を待に不及、現世にても佛罸神罸を蒙るべきこと、踵を囘らすべからず。人の名をも知ざる者共は、不アラルニ、看々、豐後の大友宗麟は佛神に歸依せられし程は、威を九州に振ひ、名を西〈一本西ヲ四ニ作ル〉海に飛ばせられしかども、提宇子の門徒と成られし後は、武運も忽につき、嫡男義統諸共に日向へ打越へ、志摩津と戰ひしに、耳川の一戰に討〈一本討ヲ懸ニ作ル〉負け、單孤無賴に打なされ、ほうゝゝ〈一本ホウヽヽヲハフハフニ作ル〉國に歸り、其後は宗門次第に衷〈一本衷ヲ衰ニ作ル〉弊し、今日に至までは累代繁榮の豪家ながら、子孫つきて在かなきかのていたらくなり。又小西攝津守も提宇子の張本たりし故に、佛神の加護なく、三〈一本三ヲ光ニ作ル〉成が非道の謀反に與し、大路を渡され、首を刎られ、從類悉く絕え子孫殘らず。又高山右近も提宇子の棟梁たりしが、其子孫いづくにかある。明石掃部も提宇子宗と成て、家を失ひ身を亡しぬ。又京洛の中に於て桔梗屋〈一本屋ノ下ノノ字アリ〉ジユアンと云し者の一類、泉南の津にては日比屋の一黨は、商家ながらも提宇子の大檀那にてありしが、此等の一族多は死然〈一本然ヲ善ニ作ル〉を得ずして亡びにき。此等の子孫、今何れにかある。是皆眼前に諸人の知所なり。斯の如く義を聞ながら、猶も佛〈一本佛ノ下神ノ字アリ〉を人間なりと云ば、たとへば釋尊の淨飯大王を御父とし、摩耶夫人を御母として誕生の相を現じ玉ひ、鶴林の御入滅を唱へ玉ひ、八幡大菩薩