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も見えず候。但し此七八箇年以前のこととやらん、去人の語られしを承る。長崎にて伴天連誅戮〈一本戮ヲ罸ニ作ル〉せられしに、屈み居たる伴天連共、又は門徒ども、すはや奇特も在べきぞと思ひ、內々心を空になして居たるに、長谷川佐兵衞尉藤廣、御代官として長崎に在て、彼徒がみこゝゝしく童部らしきことを能く知りたるによりて、彼等を欺んと、童部共のもてあそびの烏賊のぼりとやらん云物をこしらへ、其上蠟燭をもや〈一本モヤヲトモニ作ル〉し、宵すぎたる〈一本スギタルヲ過ルニ作ル〉程に、糸をひかへ、風に乘じていなさと云ふ所より長崎の上へ揚げしに、伴天連も、門徒の者共も、すはあれを見よ、云ざることか。白雲一村たなびきて天より光明の下り玉ふことをと、のゝめきあへるに、佐兵衞は微笑し、知らぬ㒵にて居られたりしかども、次第に此事隱れなかりしかば、欺かれしことを無念とは思ひながら、なきねいりに成たると承る。加樣のことをマルチルの奇特と申すべきは存ぜず、別に珍らしきことは見たることも聞たることも候はず。

或云、如此提宇子の宗旨を裸になさば、左こそ彼徒の惡み深く候らん。

〈他ノ一本答ノ下云ノ字アリ〉、仰の如く其段は御推察有べし。初て寺を退し砌、彼等に路次にて、自然は行逢て、何かと云はんも無心に存、彼宗のなからん所へと存、南都へ打越罷居て候ひしに、折節仕合の惡きにや。其比大久保石見、彼地の御代官にてありつるか、其下代の者とて、提宇子にて候しに、我等の義を伴天