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提宇子云、此
破して云く、佛神を人間とばかり見は、無學の人の邪見、尤も提宇子に似合たる見計なり。夫諸佛は法報應の三身在す。應化の如來は、衆生濟度利益方便の爲には、八相を成じ玉ふといへども、法身如來、無始廣〈曠カ〉劫より本有常住の佛にて在ませば、言語道斷にして是とも非とも手のつかざる法性法身の本佛なり。故に經にも如來常住無有變易とも說れたり〈一本リヲルニ作ル〉。人間とのみ思ふは愚痴の凡夫なり。又神も人間なりと云は右に同じき無學なり。かけまくも忝や、神には本地垂迹の謂れ〈一本レヲヒニ作ル〉在ます。譬へば天滿大自在天神は、御本地〈一本本地ノ下大恐ノ二字アリ〉大悲の觀世音に〈一本ニノ下テノ字アリ〉在ませども、光を和げ塵に交り玉ふ時は、菅相亟〈一本相亟ヲ丞相ニ作ル〉と顯れ、迹を北野に垂玉ひ、百王鎭護の神と祝はれ玉ふ。何し〈一本シヲレニ作ル〉の大社宗廟の神にか此理在まさゞる。加之、國常立尊と申し奉るは、天地未㆓開闢㆒、人間一人もなかりし以前よりの神にて在ますをも、人間なりと申さんや。言ふことなかれ、言ふこと勿れ。知るをば知るとし、知らざるをば知らずとせよ。神と申すをば、至聖の孔子だにも、使㆔天下之人