Page:Hadaiusu(Kirishitan shiryō).pdf/1

提供:Wikisource
このページは検証済みです

破提宇子

夫、提宇子門派、初入の人に對しては七段の法門あり。其初段の所詮と云は、天地万像を以て能造の主を知り、四季轉變の時を違へざるを以て其治手をしる。譬へば一宇の殿閣を見ば、其巧匠あることをしり、家內に壁書あつて、其旨に隨て家中治まるを見る時は、必主人あることを知は常の習なり。去れば天もなく地もなく、一物なかりし空寂の時ありしに、此天地出現し、天には日月星宿光を放つて、明歷々として東涌西沒の時をたがへず。地には千草万木あつて飛花落葉の節をあやまたざるは、能造の主なくんばあるべからず。此の能造の主をDsデウスと號すと云へり。

破して曰〈一本曰ヲ云ニ作ル〉、是何の珍しきことぞ。諸家何れの所にか此義を論ぜざる。有物先天地。無シテ形本寂寥。能爲万像。逐四時凋とも云、天何をか言哉、四時行焉、百物生焉ともあり。其外佛法には、成住壞空の次第を以て此義を論じ、神道には、天神七代、地神五代と神代を分つ。就中天神七代の始め、國常立尊、國狹槌尊、豐斟渟尊、三はしら〈一本ハシラノ三字ナシ〉の神在まして天地開闢し玉ふ。常に立て國を治め玉ふ故に、國常立尊と申奉る。何ぞ提宇子の宗ばかりに、天地開闢の主を知たる〈一本ルヲリニ作ル〉がほに、くどくどしく此義を說や。言多きものは品少し。閉口しさる。