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この地球上どこにも平和な住家はないのではないか――いふまでもない、私の心は死に向つて決意してゐたのである。

 二週間の間、私は生と戦ひ続けた。父の許から帰ると病院へは来ず東京の町々をさまよひ、ある時は鉄道線路の横に立つて夜を明かし、ある時は遠く海を見に行つた。私は私の生を、私の意志によつてねぢ伏せようとしたのであつた。だが意志とはなんだらうか、意志と生命とがどうして別物だと考へられるか、意志をもつて生命をねぢ伏せる、要するに言葉の綾ではないか。意志が強ければ強いほど生への欲求の強いのも当然であつた。私は方向を失つてしまつた。死ぬことも出来ない、しかし生きることも出来ない。生と死の中間に挟まれて私は動きがとれなくなつてしまつたのだ。びしよびしよと雨の降る夜、電光の溢れた街路に立つて、折から火花を散らせながらごうごうと怪物のやうに駈けて行く電車の胴体へむしやぶりついて見たかつた。俺は癩病だ、俺は癩病だと叫びながら、人々でいつぱいの中を無茶苦茶に駈け廻りたくなつたりした。犇々ひしひしと迫つて来る孤独が堪らなかつたのだ。雪崩れるやうにもみ合つて通る人々、その中にぽつんと立つてゐる私だけが病人であるとは! 私とその人々との間には越えられぬ山がそびえて、私だけが深い谷底から空を見上げて喘いでゐるやうに思はれた。もし叫びまはることによつて自分の五体がばらばらに分裂し去ることが出来たらどんなに良かつたか。さういふところへ矢内からの手紙であつた。

「――君の手紙を見ました。君の気持がどうであるかは僕はよく判ります。けれども、君は君の生命が君だけのものではないといふことを考へるべきです。君のものであると共にみんなのものです。みんなの中の君であると共に、君の中のみんななのです。君の中に僕が在るやうに僕の中に君が在ることを考へ、どうでも生きて貰ひたい僕の願ひです。」

 手紙は至つて簡単で短かつた。しかしこの短い中に流れてゐる彼の真剣な声は、私の心にひびかずにはゐなかつた。この手紙の意味が私に十分読めてゐるか疑はしいが、私はこの時切実に矢内のところへ帰りたくなつた。彼の柔和な顔や、学園の子供たちを相手にしてゐる姿などが蘇つて、この孤独感から抜け出るには彼以外にないと感じさせられた。私はその夜再び病院の門を潜つた。彼は待ちかまへてゐて、大きな手でがしりと私の肩を摑んで、きらりと涙を光らせた。私が真に友情を知つたのはこの時であつた。

 半年ばかりたつて彼はこの病室に入室した。急性結節の発熱であつた。そしてそれきり彼は寝ついてしまつたのである。

 初めはすぐ退室出来るであらうと思つて深く気にもとめなかつた。また急性結節は小児のはしかのやうに、大切にさへすれば一命をとられるやうなことは決してないのである。しかし不運にも急性結節の熱が退き、退室も間近になつたと思はれる頃になつて、激烈な癩性神経痛が両腕に襲つて来たのであつた。急性結節の高熱に痛めつけられ、体力を失つた矢先に来たこの神経痛は、彼の抵抗力の殆どを奪い尽したのである。毎日一回づつ巻き更へてやる繃帯の中で、彼の腕は見る間に痩せ細つて行き、摑んで見ると堅い木の棒を摑んでゐるやうな感じがした。その上へ極度な睡眠不足が重なり、一時的にもせよ痛みをとめて睡眠をとりたいと思つて服用する強いアスピリンや、麻酔の注射は更に彼の力を衰へさせたのである。そしてやがてはその注射もアスピリンも効果が薄れて行き、遂には一睡も出来ぬまま夜を明さねばならなくなつた。私は彼の寝台の前に立ちながら、何者に向つてともつかぬ憤ろしい思ひになつた。夜など、歯を食ひしばり、額からだらだらと膏汗を流しながらじつと堪へてゐる彼を見ると、私自身も歯を食ひしばらねばゐられない苦痛を感じた。かうした痛みを前にしてただ呆然と立つてゐなければならぬ自分の無力さ、またこの痛みに対してほどこす術を知らぬ医学の無能さ、さういつたものに対する激しい怒りと共に、やがては私自身もかうした苦痛を堪へて行かねばならぬであらうといふ恐怖に、私の心は暗い淵の底に沈んで行くのであつた。しかし一たび狂ひ始めた病勢は最後まで狂ひ続けねばやまない。間もなく彼は胸の痛みを訴へるやうになり、肋膜炎の診断を受けねばならなかつたのである。さういふ日々の苦痛な生活がもし内臓に影響を及ぼさなかつたならばそれは奇蹟であらう。急坂を駆け下りて行くやうに彼の病勢は悪化した。やがて肺結核が折り重なつて弱り切つた病体の上にのしかかつたのであつた。

 吹雪はますます激しくなり、潮がおし寄せて来るやうに松林が音を立てた。入室以来十一ヶ月、一日として休まることなかつた彼の病勢は、うち続いた長い嵐の日々であつたのだ。彼の結核は俗にいふ乾性であつたため、喀血するといふやうなことは一度もなかつたが、それだけまた悪性のものでもあつたのである。しかしさうした