ごくりといふ音に、まだ彼が幾らかでも力をもつてゐることを私は知つた。
「も、すこし。」
と彼はまた骨ばかりの顎を突き出し、唇を尖らせるのであつた。
深い寂寥が襲つて来て、私は不意に何かにしがみつきたい衝動を覚えた。かうした施療院の堅い寝台の上で死んで行く彼は果して幸福なのか不幸なのか、そして生き残る私自身は――
桜の花が散つて間もない時分、私は癩の宣告を身に受けて入院した。するとそこに矢内がゐたのである。矢内は昨日入院したといふのであつた。私と彼とがめつたにない親しさで交はるやうになつたのも、お互に入院したばかりの孤独さ、お互に病院に慣れ切らない何を見ても恐怖と驚きとを感ずる感受性の一致が結びつけたためである。いやそれはお互に結びついたといふよりも、むしろ私が彼にしがみついて行つたといふ方が当つてゐよう。二人の性質は殆ど正反対といつてよかつた。東北の果に生れ、雪の中に育つた彼と、温暖な四国に生れた私とは地理的にも反対のものを示してゐる。彼の言葉使ひには常に鈍い重さがつきまとひ、動作は牛のやうにスローであつたが、彼と対立すると私はいつも圧迫感を覚えた。
「おい、一石いかうか。」
と彼の部屋を覗いて見ると、彼はたいていごろり横になつて眠たさうな顔をしてゐる。顔全体にかるいむくみが来て、眉毛はもう殆ど見えないくらゐ薄くなつてゐる。癩の進行程度は私とほぼ同じくらゐである。
「うん、よし来い。」
勿論二人とも定石も満足に知らぬのであるが、相伯仲してゐるため二人にとつては力の入つた勝負なのであつた。彼は常に遠大な計画をもつて迫つて来る。私の石を遠巻きにしてじりじりと攻め寄つて来る。時には私の石をみな殺しにかけようとでもするやうな、途方もない石の配りをすることもあつた。しかし勝負は定つて私の勝になるのである。私の石は巧みにぬらくらと逃げ廻りながら敵の弱点を一個所だけ破る。一個所でも破られると定石を無視した彼の計画は、もはや収拾がつかないでばらばらに分裂したまま死んでしまふのであつた。石を投げて「もう一ちよう。」と彼は言ふ。口惜しさうにも見えないのである。師匠が弟子に負けた時のやうな悠々とした表情が彼の顔には流れてゐる。
この病院へ這入つて来ると皆年齢をなくしてしまふ。まだ十三四の子供が大人に向つて相対の言葉を使ひ、大人もまた平気で自分の子のやうな相手の友達になつてしまふのである。大人にも子供にも、ただで食はされてゐるといふ意識があるからであらう。私もいつの間にかこの習慣になれて、七つも年上である矢内に向つて、おい、お前、君といふ風な言葉使ひになつてゐた。私はこれをいけないと思ふのであつたが、矢内は少しも気にする風はなかつたのみか、彼は私を鋭いところがあると言つて尊敬さへもしてゐるやうであつた。私の小賢しい部分が彼の眼には鋭敏なものと見えたのかも知れない。私はそれに対してただ少しでも誠実でありたいと願ふ以外にはなかつた。彼は間もなく学園に奉職するやうになつた。彼はもともと美しい男ではなく、低い小さな鼻、小さな眼、狭い額、その額に波形に這入つてゐる深い皺、それらから来る印象はふとあの醜い、手を有つた動物を聯想させるのであつたが、しかし子供たちに囲まれてにこにことしてゐる時の彼の顔は、どこにもないほど美しいものであると私は思つた。眼尻に皺をよせ、頰をふくらませて笑つてゐる姿は、素朴な美しさをたたへて、私はそこに長閑な田園の匂ひを嗅ぐのであつた。さういふ時、私は病気のことすらも忘れることが出来た。平常からめつたに病気を忘れることの出来なかつた私は、さうした姿を見る時、何故ともなくほつと溜息を吐いた。
かういふことがあつた。
その時私は二週間ばかり病院から暇をとつて父の家へ帰つたのである。その記憶は今もなほ頭の中に黒い斑点として焼痕を残してゐるが、私は実はもう病院へは帰るまいと決意してゐた。病院へ帰らないでどこへ行かうといふのか、癩患者は療養所といふ小さな片隅をおいては、