Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/3

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ひつを配給所へ出すのを忘れたので飯がないのだ。方々へ駈け廻つてみたが何処にも余つてゐない。仕方なく菓子を買つて食ふ。

 今日はどう力んでみても書けなかつた。又あの作品も行詰つて迷ひ出したかと思ふと残念でならぬ。又材料の圧迫に苦しまねばならぬか。

 夜一号二号全部でアミダをやる。方法として女の名前を書く。自分は榛名舎のモトちやんといふ女を引いて六銭取られた。岡田さんが百合舎の君ちやんを引いて最高八銭だつた。それから女の噂で騒ぎ、床に這入ると八時過ぎだつた。


 七月二十七日。

 なんて今日は体がだるいんだ。朝五時半に起きたせゐかもしれぬ。仕方がないので外科を終へてから昼寝をやる。昼飯を食つてから例の書斎に行つたが、於泉君が遊びに来たので夕飯まで文学の話をやる。これといふ記事もない。


 八月十二日。

 数日前からフィリップの『若き日の手紙』を読み始めてゐる。なんて良いんだ。フィリップの若い時の苦しみも悲しみも、それは凡て自分と同じい。自分は多くの女と今まで交渉して来た。けれど真に愛されたことは一度もなかつた。彼の苦しみや、何がなしの物足らなさ。それは自分の亀戸時代の心理にそつくりだ。唯自分は病気の故にフィリップ以上に苦しみ、彼以上に錯雑した心理をつてゐるのだ。フィリップを自分はそんなに大作家だとは思はない。けれど好きだ。彼の底に流れてゐる情熱、意力、これはどんな大作家も及ばない程純粋だ。自分は彼を愛す。


 八月十七日。

 かねて作品社に註文してあつた『プルウスト研究』及び『作品』八月号が来る。『作品』よりも『プルウスト研究』の方が気に入つた。ノート版百頁位の本である。年八回出るといふ。余りこの本が気に入つたので、夕方外科に行くとき「橡」を読みながら行く。「愉みとその日その日」の中のー篇も好きで、外科場でそれを読んでゐると、当直の小寺、中野、両氏が来た。この間僕が小寺氏のことを三角の頭と言つたのでそれを怒つて僕の外科をやつてやらないと言ふ。困つた困つたと言つてゐると、中野氏がやつてくれた。この両女史共文学少女だ。怒つた小寺氏も『プルウスト研究』が気に入つたとみえて、この本の頁を切つて呉れた。両人に「橡」とその他の一篇を読ませてやると、ひどく感心してゐた。


 八月十八日。

 足の疵が癒らぬので、五十嵐先生にいつそのこと疵口を切り拡げたらいいのではあるまいかと相談して、そんなにあわてても駄目だと言はれ、これから動いてはならぬと叱られた。とんでもない藪蛇だ。

 十一時頃材料倉庫を作るために売店でノートを二冊買つて来た。いよいよ秋が近よつて来た。朝夕の風は最早秋のものだ。自分の頭もだんだん冴えて来るだらう。さうしたら、書き、読み、観察する。仕事に精が出て来る。フィリップのやうな気持にならう。 (十八日午前の記)


 八月二十七日。

 秋だ。朝床の中にゐると、うつすらと仄寒く感じ、掛蒲団をしつかり体に巻きつけたい思ひがする。床の中の温かさが嬉しくて、じつと眼を閉ぢて死んだ兄のことを考へる。幸福である。けれど何故か淡い切なさを覚えてふと泣いてみたいやうな思ひさへする。処女湖のやうに澄んだ瞳の可愛い少女と恋をしてみたい気分にもなる。

「秋が来ると恋がしたくなる。」

 と自分が言ふと、皆は笑つた。彼等は私の気持に対して聾である。

 昨日のA・B戦 (野球) が余り激しかつたので自分は体の節々が痛んでならぬ。起きると面倒と思つて皆が飯の用意をするまで床の中にゐた。みんなに済まないと思ふ。

 食後再び床に這入つてゐると小寺女史が『プルウスト研究』(Ⅰ) を持つて来て呉れた。以前彼女に貸してあつたものである。

 昨夜睡れなかつたので (この頃は毎晩のやうに睡れぬ日が続いてゐるのだが) 今日はどうしてもカルモチンを貰はねばならぬと、八時頃床から出て内科室へ行く。もう四五日足の疵に就いて五十嵐先生を訪ねないので叱られるかもしれぬと、びくびくして行つた。(疵はNさんに診て貰つて大体癒つてしまつたので野球などをやつてゐる。) 行つてみると案の定お叱言を食つた。けれど叱つて呉れると思ふと嬉しい。疵の穴は完全にふさがつてしまつてゐる。けれど内部で筋肉の上下が良く密着して