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ばかりのやうに思はれ出して困つてしまふ。ドストの書簡集をちよつと読み、風呂に出かける。帰つてこれを記す。


 六月十六日。

 こんど書き出した小説、なんといふ小題をつけたらよいか考へるが、なかなか適切なのが泛ばない。十三枚まで書けたが、まだこれからだ。

 夜、東條が来る。散歩に出かけ榛名で遊ぶ。スミさん今日は特別綺麗に見えたが、僕だけかしら? ちよつと恋をしてみたいやうに思はれる。


 六月十九日。

 川端先生よりお手紙あり、病気にて入院された由、大変驚き、ひどく憂鬱になる。もうずつと以前も、時々、何かの拍子に、先生は亡くなられるのではないか、などいふ不吉な予感があり、今度入院ときき、仰天する。先生の随筆など見ると、余りにも死のことが多くかかれてゐる。最近の文芸批評など、余りに鋭ど過ぎる。


 六月二十三日。

 部屋を失ひ、打ちひしがれたやうになつてゐた東條も、やうやく十号病室に行かれるやうになり、今日は晴々としてゐる。

 実際ここ二三日の彼の苦しみは、見るも痛ましいものだつた。十号では遠藤さんの附添ださうだ。自分の「間木老人」の中に出て来る鬚男のモデルはこの遠藤さんだ。その遠藤さんの附添を東條がやるのだと思ふと、何かひどくユーモラスな気持になつて来る。

 夕方東條と二人で散歩。十号でお茶を御馳走になり九時頃音楽会に出かけて行く。入口にまで人が溢れてゐて到底這入れさうにもない。伸び上つて窓から覗くと、百合舎の女の子の舞踊である。久振りに見る可憐な少女達の踊りが、自分を惹きつける。けれど中へ這入ることが出来ない。帰らうと思つて歩き出すと、可愛い歌声が流れて来て、自分をぐんぐん引きずつて行く。再び窓に鎚りつくやうにして中を覗く。又帰らうと思ひ出す。が、どうしても帰ることが出来ない。遂に中へ割り込む。中は案外すいてゐて都合が良かつた。オッフェンバッハの「天国と地獄」には打たれる。


 六月二十九日。

 久しぶりで今日は静かな気持だ。何かしら書きたい欲求が、心の中に湧き上つて来る。

 ここ数日来の気持を振りかへつて見る。そこには打ちひしがれ、傷つき呻く獣のやうな自らを見出す。その間時々、東條と会ひ語り合ふことにせめてものよろこびを見出してゐる、みじめな自分の姿が浮んで来る。

 かういふことがあつた。

 二十五日の午後のこと、礼拝堂では寄席大会があつた。みんな出かけて行つたので、僕もちよつと覗いて見る。下劣な掛合漫才に、侮辱されたやうな腹立たしさを感じ、傲然と肩をそびやかして部屋に帰つた。けれど何をする気も起らぬ。仰向けに寝転んで天井の節穴を捜す。焦々しくなつて来る。立ち上つて拳固をかため、硝子を叩き割つてやらうとボクサーのやうに身構へする。かうして身構へしてゐる自分の体は、蟷螂かまきりのやうに痩せこけてゐると思ふと、滑稽になつて来て、そのくせ滑稽になることがひどく胸糞が悪い。再びごろりと寝転ぶ。大の字型にふんぞり返つて大きな呼吸をする。咽を鳴らして、うううう――と唸るつてみる。大変愉快だ。ううう――ううう――、ううう――。頭がだんだん晴れ晴れして来たので、座蒲団を持つて芝生に出かける。蒲団を枕に寝転ぶ。 ふと自分は、二十間ばかり離れた地点に、紅の一輪を見つける。その美しさが激しく心を打つ。獣のやうに猛然と起き上つてその花をむしり取る。花を持つたまま、再び寝転び、匂を嗅いでみたり、柔かい花弁に触つてみたりする。急に死んでみたくなる。自分の全身が、一物質に還り、凡ての精神的機能を失つてみたい。息をつめ身動きをしないでゐる。ほんとに死んだやうだ。やがて自分は土になるだらう。さうすると自分のこの身からも、草が生えたり、花が咲いたりするだらう。さう思つて草を毮り、腹の上に乗せてみたりする。花をボタンの穴にさし込んでみるが、うまく立つてゐない。花は毮り抜いたのだから、根がついて居り、土がついてゐる。ボタンの穴では駄目だと見てとると、口へくはへてみる。口の中で土がぢやりぢやりする。けれど花は本当に自分の口から生え出し、根を張つて生々してゐるやうだ。すつかり安心する。

「自分は死んだ、死んだ、死んだ。」

 もう僕は、自然物なんだ。精神を持たぬ一個の物質、物それ自体なんだ。僕は、今まで反抗し続けて来た自然との争闘を止め、自然の中に静かに融解して行つたんだ。もはや、僕は、自然その物なんだ!