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 どうしてこのやうに日記が書けぬのか? 今年になつてからどれだけ書かねばならぬことの多かつたか? それだのに何一つとして書いてはゐない。自分の過去を振り返つて見ると、激しい変化や事件のあつた時は、定つて日記を書いてゐない。自分の神経の弱さが、変化や事件に圧倒されてしまふためであらうか? それなら最近の書けぬ理由は? 口実を探せば幾らでもあらう、けれど理由を発見したとて何にならうか。――とは言へ、自分のこの周囲の雑然さ、たつた一つ、それも二畳か三畳の小さなものでよい、部屋が欲しい。部屋が。思索し、執筆し、読書をする部屋が――。部屋がないといふこと、それがどんなに自分にとつて苦しいことか。朝も夜も昼も自分の神経は、もまれ、さいなまれ、ささらのやうに砕けてしまひさうな毎日。


 三月三十日。

 妹よ、私のために美しい人形を贈つてくれ。友よ、私のために美しい音楽を奏してくれ。私は人形を抱き、音楽を聞きつつ、深い眠りに落ちよう。深い眠りに。看護婦のK君が死んだ。昨夜はその追悼会があつた。死ね、死ね。死ぬものは幸ひなり。


 三月三十一日。

 曇つた険悪な空模様。かういふ日の私の気分は暗い。作品したい慾求も起らず、読書する気もなく、ただ、陰鬱なものが、ぐんぐん頭にもち上つて来てならぬ。碁を打つに限る。何もかも忘れ、ぼうつと碁を打つに限る。一石々々全神経を緊張させて、その張り切つた感覚の線上に身を置かう。その時こそ私が一番美しく光つてゐる時だ。作品する時の苦しみや喜び、それとは異種ではあらうが同位以上であらう。でなかつたらドブの中の真珠の一粒――そんなものだらう。最上か最下か、それは別だ。ただ絶対なのだ。


 夜。夕方から雪が降り出した。白い雪が。六時から於泉信夫の作品合評会がある。自分が組織した文学サークル第三回目の催しだ。雪の中をぽつりぽつりと出かけて行く。一般社会から切り離されたこの内部で、よし、たつた五人の会にしろ、そしてそれがどんなに幼ない未熟な集まりであつたにしても、この真剣さを軽蔑する奴は、馬に食はれろ!

 朝四時まで激論が絶えず、その熱心さは病院開院以来初めてのことだらう。


 四月二日。

 雪もすつかり溶けて、湿つた大地が黒々と続いてゐる。何となく、頭の重いしかし静かな気持だ。久しく這入らなかつた応接室に、今日はこの日記帳と、ドストエフスキー全集中の『作家の日記』を持ち込んで勉強を始める。

 今日から煙草を止めることにしたのでどうも調子が悪い。が、是非止さねばならぬ。こんなにのぼせ性なのも、一に煙草の害にあるのだ。又それだけでなく、自分の心臓は最近とみに弱まつたやうだ。どんな時でも、脈搏が九十以下といふことはないのみか、ちよつと激しい動作や興奮をすると、百四十を突破する。夜など、作品のことを考へてゐる間にだんだん興奮して来ると、もうどきんどきんと全身に響くくらゐだ。どうしても煙草は止さねばならぬ。わがなつかしく親しき唯一人の友 Golden bat よ、さやうなら。

 しかしながら、考へ及んでみると、もはや自分は酒をも飲んではならないのだ。その上又煙草も止めねばならぬ。凡ての享楽は自分から飛び去つて行く。酒、酒、あの甘く、辛い酒の味はひは、自分にはもう得られないのだ。あのへべれけに酔つぱらつて、ふらりふらりと街を歩く楽しさも得られまい。どうして今日はこんな意気地のないことばかり書くんだらう。傲然と反り返つて四辺を睨みつけろ!


 四月四日。

 ドストエフスキー全集中の、夫人アンナへの書簡集を読む。それを読んでゐる間、私は彼と一緒に、苦しみ、もがき、興奮し、どうにもならない絶望にすつかり押しつけられてしまつたり、すぐその後からぐんぐんと熱情が突き上つて来たり、長い間私は彼と語り、ルレエトカに負けたりした。と、かう書いたら不自然だらうか? 私はちつとも不自然ではないと思ふ。彼は決して我々に何かを教へようとしたり、心を打たうとしたりしない。そんな客観的な、向う側の人ではないのだ。彼はすぐ我々の横、いや、我々の内部へ飛び込んで来て我々の全身を摑んでしまふ。一度摑まれてしまつたが最後、もう我々は彼と共に行動し破産 (財産の) しなければならない。そして我々は、一刻も早く彼がアンナの許へ帰ることを希望し、ロシヤへ帰つて作品生活に入ることを