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や青や純白の色彩は何処へ行つた。

 この院内の色――赤であらうと青であらうと、どれもこれも膿臭くて、腐りかかつてゐる。あの毛の抜けた猿を見ろ。


 十二月十七日。

 熱こぶめ、又出て来やがつた。『山桜』の出版部も本年一ぱいは休まねばならぬ。


 十二月二十日。

 『呼子鳥』に載せる童話の締切日だ。昨夜どうやらまとめたので、今日は書き改めようと三枚ばかり改めると、嫌になつたので止めた。


 十二三日頃の荒んだ気持も、どうやら落ちついた。静かに、しづかに母のことなど随筆してみたい気持が一ぱいである。


 この二三日、何かにつけて亀戸時代を思ひ出す。自分に深い印象を残してゐる去年の暮のことなど特に思ひ出す。今の生活に暮も正月も変りがあるものかと自分も言ひ人も言ふのだが、やつぱり暮は暮なのだらう。樹々の梢を吹くこがらしの音にもあの時代を連想する。今思ひ浮べてみても洞穴の中のやうな思ひがするが、実際あの時の自分の生活は、陰惨だつた。思ひ出すと激しい不安に襲はれる。社会不安だ、生活不安だと、文士達が安易に言つてのけるけれど、あの自分の不安、恐怖にまで到達してゐる者があらうか。そして自分は、その不安、恐怖を、身をもつて行つて来たのだ。自分の神経も徐々に癒えつつある。以前のやうな神経に復つた時、自分は傑れた不安の文学を創造するだらう。


 十二月二十七日。

 夕飯を食つてから病室へ出かける。U兄が一号へ入室したので――。一号で暫く話してから五号へ行く。東條君と永い間語る。於泉が来る。お互に文学しようと言ふ。東條君も来年から散文に力を入れると言ふ。嬉しいことだ。

 帰ると八時。暫くの間五号で語り合つた興奮が覚めないのでじつと火鉢の前に坐つて黙想する。佐藤君は眠つてゐる。静かだ。久しぶりで味はふこの気持――文学を語つた後の余韻とでも言はうか額の中にほのぼのと上る熱気を感じながら、あくまでも静寂な四辺につつまれる気持――亀戸時代のメランコリーに似た侘しさだ。


註1 北條民雄は一九三四年、全生病院に入院した。

日記の冒頭に「全生日記」と書かれている。

註2 独身の女達の入れられてある舎名。

註3 幼きは七八歳より十八九、二十位までの少女達

が保母の許に生活してゐる少女舎。

註4 病院発行の機関誌。

註5 この小説は後に「最後の一夜」となり更に「い

のちの初夜」と改題の上発表されしもの。



一九三五年 (昭和十年)

北條民雄


 一月二十一日。

 今年になつてから楽しい日が続く。傷ついた自分の神経もおもむろに癒え、少しづつ高まつて来る文学への熱情が、今日になつて激しく自分の〔しん〕に食ひ込み、遂に随筆四枚にそのことを書いて、本年度の覚悟、いやこれからの自分の生活を定めた。今日こそ生涯記念すべき一日だ。


 一月三十一日。

 二日間の予定で東京に出かける。


 二月一日。

 帰つて来た。大して刺戟も受けなかつたのに、夜になつて、唸 (魘) されてゐたと、佐藤君が言つた。


 二月十五日。