Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/10

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なんてまあ激しい変りやうだ、とでもいつた風な、なんだかをかしな気分にならされた。

 たつた十五日病室にゐて、それもこの狭い院内に於てすらこのやうな変化を見せるとすると、院外の一般社会の変化はどうだらう。この内部で文学だ社会不安だと言つてゐたとて、もうとつくに社会は全然違つた貌つきになつてしまつてゐるかも知れぬ。これならもう自分の言葉はどれ一つとして社会性を失つてしまつてゐるかも知れぬ。弱つたことだ。


 十一月十九日。

 体温は六度五分。平熱だ。早く退室して、色々ここで考へたことを一つ一つやつてみたいやうに思ふ。

 Hが先日自分の手袋を洗濯に持つて行つたきり持つて来くさらぬ。もうあれの気持など、とつくの昔に判つてゐる。かくあるのは必定のことだが、癪に触る。しかし考へてみると、あのやうにあれの言ふままに任せた自分も悪いのかも知れぬ。だが、たしかにあれにとつて、自分は手に負へぬ存在であつたに違ひない。ざまあ見ろだ。手袋を持つて来たらもう交はりはお断りだ。自分にだつてちやんと先があるのだから。もう自分にはHの頭の先から足の爪先まで観察してしまつたのだ。言はば、自分にとつては、もうカスだ。自分の頭の中から、今日限り追放だ。さあ何処へでも行つて呉れ。


 十二月四日。

 寒くなつた。先月の二十四日に退室した。まだ十分治つてゐないのだが。退室したらあれもやらう、これもしようと考へてゐたけれど、さて出て来てみると、何も出来ぬ。碁が面白くて毎日碁ばかり打つてゐる。これではいけないと思ひつつ打つてばかりゐる。今朝もKさんと三番打つた。全部僕の勝だ。


 十二月八日。

 夜になつて久振りに故里の父に手紙を書く。書きながら父の姿をあれこれと想ひ出す。自分が田舎に居た頃一緒に働いた父、東京で会ひ日比谷公園で語り合つた時の父、亀戸のあの汚ない宿屋で語つた時の父、この病院へ見舞ひに来て呉れた父、自分の憶ひ出す父の姿は何時も自分に対して一種の威厳と、深い愛情を示してゐた。自分は深く父を尊敬するやうに近頃になつて、なつて来た。父の偉さが今になつて初めて自分には判つて来た。父は決して僕の行動に対してあれこれと言はなかつた。今まで幾度となく自分は無分別と無鉄砲を行つて父を困らせて来た。けれど父は決して叱らなかつた。そしてこんなつまらぬ僕を一個の人間として或種の尊敬を持つて常に 自分に向つて呉れた。心の底には常に深い愛情をたたへてゐた。それは時に、ごくたまに眼に表はれることがあつた。言葉に表はれることは滅多にない。唯一度兄が死んだ時、僕と父とで骨あげに行つた時、その骨を小さなつぼに入れながら、

「昨日まで生きて居つたのに……のう。」

 と言つた。僕はこの言葉を忘れない。この言葉の最後が、どんなに深い父の感情に接続してゐたことか。父自身でなければ判らない。


 十二月十二日。

 四日前から『山桜』出版部へ通ひ始めてゐる。自分の仕事は五号活字の文選だ。まだ馴れないので大変まごつく。をかしくも面白くもない仕事だ。

 癞文化のために戦つてゐる――ここにはさうした意味の熱と活気が見られると思つて、自ら好んでここで働くことにしたのだつたけれど、その自分の期待は外れた。 彼等は彼等の仕事がどのやうなものであるか意識しない。

 まるで背負投げを喰はされた形だ。自分は終日黙々としてゐる。


 語るべき友もない。自分のこのせつぱつまつた精神生活を識つて呉れるものは一人もゐない。

 酒が飲みたい。飲みたくてしやうがない。へべれけに酔つぱらつて、思ひ切り反吐をはいたらどんなにすつとするだらう。


 菓子も食ひたい。すてきなカステーラを食ひたい。


 この院内で定められてゐる規則を、ひとつひとつ片つぱしから破つてみたい。


 酒、女、菓子、果物、本、人形、その他何でも欲しい。欲しくてたまらぬ。


 実を言ふと、自分は美しいものに憧れてゐるのだ。もうこの院内の灰色一切にはあきあきした。あの美しい赤