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やうな小鳥たち、突如として高い梢にけたたましく百舌もずの声が響くと、凡ての鳥が死んだやうに息をこらしてしんとしてしまふ有様など、佐七は、自分自身さうした小鳥の世界に生き、人間などの求め得ないほど美しく完成した小鳥の社会に遊ぶ思ひがするのである。

 じつと物思ひに耽つてゐる佐七の顔に、ふと暗い陰がさし、不安なものが漂ふことがあつた。すると彼は定つて小さな声で、仕方がない、仕方ない、と呟いた。それは息子の佐吉を思ひ出した時で、彼の眼にはなんとなくおどおどとしたものが表はれた。

 佐吉は長男で、父親が義足になるちよつと前にここへ這入つて来たのであるが、今は激しい両腕の癩性神経痛にやられて重病室のベッドの上で横になつてゐる。彼は二十四で、ここへ来るまでは母親と一緒に田舎の街で暮してゐたのであつたが、その頃は長女のふゆ子と同じやうに優しく、時々来る手紙の中にもそれは現はれてゐた。中学を抜群の成績で卒業したといふ報せや、末に見込みのある大きな会社へ就職することが出来たといふ報知がある度に、佐七は女舎まで出かけて行つてふゆ子にそのことを話した。そしてその夜は明け方まで眠らないで、息子のことを頭の中に描き続けた。手紙には何時も乱暴な文字で、さういふところに暮してゐる父のことを思ふと一日として安閑と暮してゐる気にはならない、今に立派な者になつて見せるといふやうなことが書いてあつ た。文字は如何にも乱暴で紙いつぱいにはね廻つてゐるやうであつたが、その中には美しい我が子の心が流れてゐるやうな気がして、佐七は手紙を何度も読みかへしたものである。しかしその子がどうしてあんなに烈しい変りやうをしたのか。佐七は、病室にゐる息子のことを考へる度に、何か大変な間違ひを仕出かしてしまつた後のやうな、空しい絶望を味つた。

 昨日もその病室へ出かけて見たが、佐吉は父の顔を見るともうむッとしたやうな表情を泛べて不機嫌に黙り込んでしまつた。佐七は息子に向つて声を掛けて見るのもなんとなく悪いことをするやうな思ひがして、おどおどしてしまふのである。俺がこんな病気になつたのもこんな苦しい目に遇はねばならないのもみんなお前の責任だ、と息子の眼が責めつけて来るやうに思はれて、佐七は呼吸をするのも何か悪いことをしてゐるやうな気がするのであつた。思ひ切つて、どうだの、工合は、と声を掛けても、息子は閉ぢた眼を暫くは開かうともしない。そしてやがて開いた眼には、父に見舞はれた者の誰もが表はす喜びの表情はほんのこればかりも表はれず、佐七は石のやうに冷たい息子の心に取りつく島を失つてしまふのだつた。

 仕方がない、仕方がない、と呟くより他になかつた。何もかも病気に打ちこはされてしまつた、親子の愛情も、優しい息子の心も、しかしそれといつてどうしやうがあるだらうか。佐七は、ぼんやりと囮の籠に視線を移しながら、深い溜息をもらした。病気のことを考へるたびに、佐七は、例へばどんなに大きく眼を開いてもなんにも見ることの出来ない闇の中に、ぽつんと立つてゐるやうな孤独と、不可抗なものを感じた。そして、佐吉の発病を報せて来た手紙を読み終つた時に感じた同じやうな、二度と取返しのつかない失策をしてしまつた絶望を覚えるのだつた。その手紙を半ばまで読み進めて、胸部及ビ手首ニ白斑ト麻痺部ヲ発見仕リ候といふ文句にぶつかつた時、佐七は急にぐらぐらと畳の揺れるのを感じ、文字がびりびりと顫へた。そして天井を仰いだとたんに、しまつたあ、ああ、ああ、といふ声が腹の底から飛び出した。病気になつた子供の不憫さや、絶望を感ずるよりさきに、失敗しくじつた、といふ感じと激しい責任感に頭は突き動かされたのであつた。そして自分が既に病気になつてゐることを知りながら結婚してしまつた過去が罪深く思ひ出され、彼はその手紙をもつたまま夜晩くまで林の中などを歩き廻つた。そして時々頭を上げて空を仰ぎながら、子供のやうな声で、ああ、ああ、と呟いた。佐七はその時二十六であつた。臀と顎とに紅斑があつたが、妻と初めて知り合つた時には顎のは消えて無くなり臀部のだけが残つてゐた。しかしそれまで癩患者の実際の姿など見たこともなかつたし、また自分の病気がどういふ性質のものであるかも十分には知つてゐなかつた。それが思ひ切つて結婚させるに役立つたのであるが、彼は妻を抱きながら、ふと深い不安を覚えて彼女を遠くへ押しのけたのも度々であつた。また彼はその滑かな肌に体を密着させてゐる瞬間にも、急に自分の病体を感じて、彼女との間に超えられぬ淵が出来るのを覚えた。それは東洋の男が西洋の女を抱いた瞬間に感ずるであらう人種的な肉体感の相違にすら似てゐた。そして佐七の場合、それは根深い罪悪感となつて頭の芯に残つたのであつた。初めのうち妻は勿論佐七の病気を知らなかつたが、それは却つて彼の心を苦しめた。佐吉が生れたのは結婚後三年が経つてからであつたが、彼は初めての我が子の声に恐怖を味はずにはゐられなかつた。そしてふゆ子、佐太郎といふ