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癞家族


 秋が深まり、空間に刺すやうな冷気が感ぜられる。やうやく昇り出した太陽が、少しづつ林の向う側を明るませてゐる。石戸佐七は、鼻の頭を赤くしながらさつきからぼんやりとくぬぎの切株に腰掛けてゐた。

 林の中では、黒い球のやうに木々の間を四十雀しじふからや山雀がぱッぱッと飛び交はして、佐七の仕掛けた囮の目白も籠の中で飛び廻りながら鮮かな高音をはつてゐた。すつかり肉の落ちた佐七の顔は殆ど無表情で、林の中に群がり鳴いてゐる小鳥共の間に、囮の目白の声が一段と冴えわたつて響くのを聴く時だけ、かすかな微笑が口辺に漂つた。籠は彼から六七間ばかり離れた若い松の枝にぶら下つて、中の鳥の運動につれて時々ゆらゆらと揺れた。籠の上には二本の黐竿もちざをが枝のやうに自然に両方に突き出て、獲物の来るのを待つてゐる。飛んで来た黄色い小鳥がぱつとその竿にとまり、驚いて飛び立たうとしては見るが、及ばないと思つてか利口にもくるりと身を落して竿に足を捕られたままぶら下つて、体の重みで自然と足の離れるのを待つ、さういふ光景が蘇つて来ると、老いた彼の胸にも何か若々しい血が流れるやうに波立つた。しかし目白はまだ来ない。一家族が連立つて群がり飛んで来るこの小鳥は、その時間も殆ど定つてゐて、まだ三十分くらゐは待たなければならないと、彼は多年の経験で思つた。彼は鳥の来た時の用意にもと思つて、穿いてゐた義足を注意深く穿き直したり、黐竿の工合をもう一度よく調べて見たりして、後は何時ものやうにぼんやりと小鳥たちの声を耳にしながら、頭の中を流れて行く色々な物思ひに耽つた。

 この療養所へ来てからもう佐七は六年になるが、秋が来る毎にかうして目白を捕りに来るのが一番の楽しみになつてゐた。義足になつたのは一昨年の春であつたが、その時も足が一本無くなるといふ悲しみよりも、もう小鳥を捕りに出かけることが出来なくなりはしまいかといふ不安の方が強かつたほどである。小鳥を捕るといふそのことも楽しいことであつたが、彼は何よりも雑然とした病舎から逃れて、自然の中に身を置き、人間の声の代りに鳥の声を聴き、草の上に坐つたり、樹々の香を嗅いだりすることがよろこばしかつた。一定の時間に家族連れで飛んで来る目白や、お互に何かささやき合つてゐる