若何ぞ肖ざるや」と。忠朝慙恨す。故を以て終に秀政と死を約す。
將軍の部署︀旣にして前將軍、諸︀將を部署︀す。前田利光、右先鋒たり。本多康俊、本多康紀、
遠藤、片桐、石川、蒔田等と、其右に在り。本多正信、土井利勝、酒井忠世、本
多大隅、黑田長政、加藤嘉明、之に繼ぐ。少將忠直、左先鋒たり。本多忠朝、小
笠原秀政、秋田、六鄕、淺野、丹羽︀、仙石等と、其右に在り。榊原康勝、松平康
長、酒井家次、稻垣重種、之に繼ぐ。大將軍、親右軍に將たり。水野忠淸、靑山
忠俊、松平定綱、書院番頭を以て、高木正成、阿部正次、內藤淸次、大番頭を以
て、並に其前に在り。安藤重信、其後に在り。前將軍、親左軍に將たり。本多
正純、植村家次、板倉重昌、本多信勝、內藤掃部等、之を衞る。參議義直、參議
賴宣、其後に在り。井伊直孝、藤堂高虎、細川忠興と右軍の左に在り。水野勝成
松平忠明、本多忠政、伊達政宗、少將忠輝と、左軍の左に在り。處分旣に定る。
偵騎を遣して戰地を候はしむ。而して城中、未だ之を知らざるなり。大敗の後を
以て、衆心恟惧す。會議して計を決す。曰く、「東軍來り逼ること二三日を出で
じ。之を南郊に誘ひて、西より橫さまに之を擊たんと欲す」と。天未だ明けざる
に、人をして出でゝ斥候を爲さしむ。候者︀、東南の聚落に常に無き所の如き者︀を