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【高松里】讃岐に火起るを望む。田口成能曰く、「敵來り襲ふなり。請ふ、急に舟に御せよ。將士をして陸にふせがしめん」と。之に從ふ。義經果して襲ひ至る。我が兵、能く拒ぐ。義經火を行在に縱つ。我が兵盡く舟に上り、海陸こも射る。景淸、岸に上りて戰ひを挑む。美尾屋
景淸
美尾屋みをのや十郞と云ふ者、來り鬪ひて走る。景淸追ひて其しころつかむ。錏ゆ。之を薙刀なぎなたけ、あげて呼びて曰く、「吾は景淸なり。蓋ぞ來りて决せざる」と。敵敢て近づくものなし。我が兵踵ぎて上り、大に戰ひ、佯り郤きて舟に上り、以て義經を誘致す。ほとんど獲へんとして之を逸す。宗盛、敎盛を召して曰く、「我が兵しば義經を逸す。義經の兵數百騎に過ぎざるのみ。公の一戰をわづらはさん」と。敎經敎經、乃盛嗣もりつぐ、景淸等三十人と、陸に迫りて射る。敎經、勁弓、長箭、射て敵の精騎數十人を殺し、日暮に會ふ。義經軍を高松に退く。敎經八島に軍し、夜源氏を襲はんと欲す。盛嗣、江見えみ盛方もりかたと先を爭ひ、曉に徹するまで襲ふを果さず。天明に、義經七千騎を以て來り攻む。我が三十人步行して、短兵を持して接戰す。敵騎披靡す。敎經、因りて之を射る。戰ひ遂に利あらず。遂に舟に上りて退く。熊野くまの湛增たんぞう、河野通信、盡く源氏に屬す。源氏の軍、日に盛なり。平氏、乘輿を奉じて志度しどに避く。義經、復來り攻む。乃、退きて引島を保つ。已にして、長門、周防、