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盛、時に京師にあり。是歲五月、賴朝、書を以て之を召す。且曰く、必宗淸を携へよと。賴盛即東に行く。宗淸從ふを肯ぜず。曰く、「臣禍福を辨ぜざるに非ず。獨、西海の諸公舊僚に
兒島戰平氏、山陽道を復せんと欲し、九日、行盛、兵二千を以て兒島に屯す。範賴十萬騎を以て來り攻む。我が軍敗れ還る。宗盛以下、日々悒々として樂まず。知盛曰く、「吾れ
明年春、知盛、長門の引島に
盛、時に京師にあり。是歲五月、賴朝、書を以て之を召す。且曰く、必宗淸を携へよと。賴盛即東に行く。宗淸從ふを肯ぜず。曰く、「臣禍福を辨ぜざるに非ず。獨、西海の諸公舊僚に
兒島戰平氏、山陽道を復せんと欲し、九日、行盛、兵二千を以て兒島に屯す。範賴十萬騎を以て來り攻む。我が軍敗れ還る。宗盛以下、日々悒々として樂まず。知盛曰く、「吾れ
明年春、知盛、長門の引島に