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初め重衡の虜となり、京師に入りしとき、維盛の妻孥、京師に在りて、三位中將虜せらるゝと聞きて、其維盛なりとおもふや、僕をして之を視しめしに、しからず。然れども師盛もろもりの首を見て、則憂恐す。維盛、屋島に在りて、亦家を懷ひて措かず。是歲三月、ひそかに出でゝ、京師に之きしに、みちふさがりて達せられず。是に於て高野山に赴き、偶、其舊臣の僧と爲れる者にひ、之に語るに情を以てせり。曰く、「先君【先君】重盛
維盛熊野に死す
、甞て賴朝に德せり。【內府維盛を疑ふ】父重盛甞て賴朝を赦す、故を以て吾も亦賴朝に貳心あるかと疑はる內府故を以て猜疑し、吾を賴盛【賴盛】志源氏に嚮ふに比す。吾れ故に遁れて此に至る。一たび熊野の祠にまうで、水に赴きて死なんと欲す」と。乃、與にともに詣で、那智の海に投じて死す。豫、隷人に命じ、還りて資盛に吿げしめて曰く、「唐皮からかはの甲、小烏こがらすの刀、貞能のもとにあり。公宜しく之を取るべし。萬一、こと平がば、幸に之を我が兒に傳へよ」と。小烏、拔丸初め平氏、小烏、拔圓ぬけまるの二刀あり。例に嫡長に傳ふ。賴盛忠盛に至りて、小烏を淸盛に傳へ、拔圓を賴盛に傳ふ。二家是よりあひにくめり。賴