Page:Gunshoruiju27.djvu/395

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かこひて圜とす。すなはちもろの藥草を栽たりイ无]。」假の庵の有樣かくのごとし。其所のさまをいはゞ。みなみにかけひあり。岩をたゝ[たてイ]みて水をためたり。林の[木イ]近ければ。つま木をひろふにともしからず。名を外山といふ。正木のかづら跡を埋めり。谷しげけれど西は[イ无]晴たり。觀念のたよりなきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲のごとくして西方に匂ふ。夏は時鳥を聞。かたらふごとにしでの山路をちぎる。秋は日ぐらしの聲耳にみてり。空蟬の世をかなしむ[かイ]と聞ゆ。冬は雪を憐む。つもりきゆるさま罪にたとへつべし。若念佛ものうく讀經まめならざるときは。みづからやすみみづからをこたるに。さまたぐる人もなく。又耻べき[人イ]もなし。殊更に無言をせざれども。ひとりをれば口業をおさめつべし。かならす禁戒を守るとしもな[くイ]れども。境界なければ何に付てかやぶらむ。若跡のしら浪に身をよする朝には。岡のやに行かふ船をながめて。滿沙彌が風情をぬすみ。もし桂の風ばち[葉イ]をならす夕には。潯陽の江を思像て源都督のながれ[をこなひイ]をならふ。若餘興あれば。しば松のひゞきに秋風の樂をたぐへ。水の音に流泉の曲をあやつる。藝は是つたなけれ[どもイ]。人の耳を悅ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ獨詠じてみづから心をやしなふ計也。又麓に一の柴の庵あり。則此山守が居るところ也。かしこに小童あり。時々來て相訪ふ。もしつれなる時は是を友として。あそびありく[遊行すイ]。かれは十六[イ无]われ[こイ]六十[むそぢイ]。其齡事の外なれど。心を慰る事[イ无]これ同じ。或はつばなをぬき。岩なしをと[りイ][イ无]ぬかごをもり芹をつむ。或はすそわの田井に[いたイ]りて落穗をひろひ[てイ]ほぐみをつくる。若日うらゝなれば。嶺によぢ上りて遙に故鄕の空