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靈瑞をあらはし侍りしあたりならむといとかしこくぞおぼえ侍る。〈此所に草薙の御社九萬八千の御社などと申て。むかし神々進發の御陣の跡に社あまたおはしますと云々。海道よりは見えず。〉淸見寺にておもひつゞけ侍し三首の中。
淸見かた關もる波もいとまあれやみほの松原風たゝぬ世に
袖しの浦は出雲國とこそきゝ侍しに此うらはに同名
雲深くおほふ袖しの浦人よいつくにふしをみるめからまし
御舟よそひ侍し程。
漕出てみほのおきつの松の千世都のつとに君そつゝまん
廿一日。あした駿河府にて御詠。
旅衣たちそかねぬる雲たにもかゝらぬ富士の名殘おしさに
此外御詠かず〳〵侍りき。いまだ拜見ゆるされざるをばかさねて申出し。萬代の
末となく君かへりみよふしのねの年月かけて高き契りを
手ごし河原にて。
たひ人のてこし河原をのる駒も足なみはやしいそく朝立
宇津の山にて感夢のこと思ひ出侍りて。
うつの山うつゝに越てみしふしに見しよの夢そ思ひ合する
範 政
すなほなる君にまかせて日本をこゝろやすくや神もみる覽
と申侍しとき。おなじく詠進申べきよし仰ごとにて。
神もしれ天津日本あきらかに照す惠みもすなほなる世そ
藤枝の御とまりにて。
舂ならは花そ匂はむ秋とてやうらは色つくふち枝の里
廿二日。せと山と申所にて。
うらかるゝお花の浪にかへる也しほちは遠きせとの山風
かまづかと申あたりにて。
駒とめよ草かるをのこ手もたゆくとる鎌塚も此わたりとて
さ夜の中山にて富士のねほのかに見え侍しに。歌よませられしとき。御詠。
富士のねも面かけはかりほの〳〵と雪より白むさよの中山