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して下さい、とまさしく命令である。その聲が澄んでゐるせいか實に冷たく響いた。ともあれ健治はその命令に從ふほかないのである。驛長室へ連󠄁れて行くのだらう。そこでお願ひしたら何とかなると考へたのは彼の誤󠄁算であつた。最早すつかり手が廻󠄀されてゐたのである。先にたつて行く車掌の後から仕樣事なしにくつゝいて改札口を檢札もなく通󠄁り拔けると、そこに來てゐた警官に彼は荷物か何ぞの樣に簡單に引き渡されたのである。健治は愈々見當がつかなくなつて面喰つてしまつた。全󠄁るで罪人である。だが何と思つてもかうなつてはもうどうにも仕樣がない。引つぱられるままに警官にくつゝいて行つたのである。そして彼が塵でも捨󠄁てる樣に抛り込󠄁まれたのが假收容所󠄁と云ふ所󠄁であつた。元は魚問屋か何かの物置でゞもあつたのだらう割に頑丈󠄁な建物で、その中にどうやら人間が寢起出來る樣に假普請󠄁をして、そのまゝ何十年か使つて來たものと思はれる古い家である。中は二つの部屋になつていて、健治が入れられた部屋にはその時も一人の重症な女の癩病人が寢てゐて一種特別な惡臭が鼻をいた。隣の部屋には四人ばかりの人間が襁 (原文は衣へんに强。unicodeにフォントが存在しない漢字。) 褓でも投げ散した樣にだらしなくごろしてゐた。健治がその前󠄁を通󠄁る時彼等は卑めと愍れみとをごつちゃにした、ひどく冷たい目で遠󠄁慮もなく彼を見すえた。不氣味な世界だつた。まさに古財布の魔󠄁境である。この魔󠄁境を逃󠄁れるのには、健治はその日の內に所󠄁長宛に手紙を書いた。夜になると彼の部屋にはもう二人の患がどこからか歸つて來た。一人の頑丈󠄁な身體で兩手が生姜の樣になつていて頭のずべりと禿げた男はボスと云つて親父󠄁とか親方とかいふ意味らしく、もう一人のがんもどきの樣な顏をした細長い身體の男はヤツコといふので、驚いたことには寢てゐる傷だらけの女がオヒメと呼ばれるのである。

 健治には退󠄁屈の日が續いた。ボスとヤツコはバイに行くと云つて每日朝󠄁から晩󠄁まで街に出てゐた。番人の爺󠄁さんは見てゐてもかまふ風がないのである。健治は每日することもなく、以前󠄁にゐた誰かゞ捨てゝ行つたものだらう古雜誌を拾讀みしたり、オヒメがぬるとねばりつく樣な聲で云ふまゝに湯を飮ましてやつたり、疵を貼りつけてやつたりしてゐた。隣室の行路病どもは時になるとひどく騷々しくて、何でも洋傘なほしの婆さんが特別に貰つてゐる粥を他の連󠄁中がくすねるので、婆さんが氣狂ひの樣に騷ぎたてゝ每度はげしい騷動が持上るらしいのだつたが、外の時間は死んでゐる樣に靜かで、起居のおぼつかないばかりらしかつた。

 依然超滿員で仕方がない、もう少し待て、と十五日許り經つて所󠄁長からそんな手紙が來