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その內に家と屋敷の代金が百圓ばかり來る筈ですからそれもとつて頂いていゝんです。何にしても歸る家はなし、二人の娘はここに居るのですし、もうどうしても入れて頂きません事には……。といふ譯だ。健治には家もあり兩親もあるのだ。ここで二ヶ月三ヶ月入所󠄁が遲れたとて大したことではない。ここで自分が退󠄁いてこの窮境にある二人を入所󠄁出來る樣に盡力するのが人情󠄁といふものだ。と彼は悲壯みたいな氣持になつてからに美しい人情󠄁家の大事を果して所󠄁長をもいたく感激させたのである。

 「やあ、君の心懸けには實際感心しましたよ、同病相憂の華と云ふべきですな。有難ふ、その代り合つき次第すぐ容れますからね。」

 と、さう云つた所󠄁長の最後の言葉を大事に胸の中で繰返󠄁してみながら、療養所の門を出て再び歸らぬ決心ではる出て來た故鄕へ逆󠄁戾りする彼だつたのである。

 ところが健治は歸路汽車の中でとんでもない事件に見舞はれてしまつた。彼は癩病である身を恥ぢ急󠄁行三等車の隅つこでなるべく壁と窓の方へ身體を捻じ向けて席をとり、萎びた左手をしつかりズボンのポケツトへしまひ込󠄁んで、小さくなつて座つたのであるが、さうして身體をどうやら落ちつけると間もなく、彼は不思議な自分󠄁の心に思ひ當つて一心に考へはじめたのである。健治は名前󠄁も知らずに來てしまつたがあの爺󠄀さんが所󠄁長の前󠄁に投げ出した古財布の魔󠄁術󠄁にひつかゝつて、それまでに爺󠄀さんの口をいて出た、健治には十分󠄁びつくりに値する大事な話しをけろりと忘れ彼は無暗󠄁にあの親子に同情󠄁してしまつたのだ。

 こいつは何て大間違󠄁ひだ、あの親爺󠄀さんは若い時から癩病でゐて、三人の子供を持つたのだ、ところがその子供がどうやら一人前になつて少しは家の役に立つと思ふ間もなく、その三人の內年上の娘が二人殆んど同時に癩病になってしまつたのだ。親爺󠄀さんは存分󠄁てこずつた揚句に、仕樣事なく因果を含めて二人の娘を巡󠄁禮乞食󠄁に出してしまつた。すると間もなくそれを苦に病んでといふでもなからうが、親爺󠄀さんの女房󠄁が些細な病氣でひよつこり死んでしまつたのだ。連󠄁れ合ひに死なれたんですからねほんとに、と親爺󠄀さんは子供が病氣になつたよりもこれにはよつぽど參つたといふ風に力を入れて幾度もさう云つた。そして今度はまだそれどころぢやありませんよ、世の中にはも佛もあつたものぢやない、その上にですよ、ほんとに何で惡業なんでせう、たつた一人のこいつまでがこれこの通󠄁り病氣になつたんですからね、これはあんまりですよ、と云つてその時には確かに親爺󠄀