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七八号証には、「㈠該ズック靴に付着して居る斑痕は図壱のア点、図弐のエ点を除いては血液である。㈡該斑痕の血液中、図壱のう及びウ点、図弐のウ点のものは人血である。㈢図壱のウ点の人血の型はB型と思われる。」旨の、各鑑定結果が記載されており、右検査内容は前記第一段階に該ることが理解される。
 乙七八号証には、本鑑定は、……「昭和二四年十月十七日午後四時に着手し同十八日午後四時に終った。」旨記載されているが、 真実右日時に検査を実施したとする と、前記第三段階に該当することになり、そうすると、血液型検査を行いながらABO式検査のみでQ式検査を実施していないことは理解し難いことである。右記載はまさしく前に指摘したとおり鑑定書の体裁を整えるための不正確な記載にすぎないのである。
 そうであるからこそ、〔丙〕技官は、昭和二四年一二月一三日(第一審)公判廷において、「(本件白ズック靴を示され)……捜査第一課から送られて来て署長、〔丙10〕警部補外二、三名から夜間識別を松木博士に頼んだが、夜間であったため出来なかった様であるからも一回やって見てくれと言われました。見ると右靴の右外側は相当切り取った跡があり、又左踵にも血痕らしいものがついて居りその他肉眼で見えない程のものがついて居りました。」「……この鑑定状況を具体的に申しますと先づ靴でありますが、ルミノール反応を試したところ爪先が著しいB型を示しました。それから何の位白墨を塗ってあるかを調査すればもっと参考になったと考えましたが、水道の水で洗ったところ、相当の血痕が表われ、これを採血調査した処何れもB型でした。」旨証言しているのであり、右事実は、乙七八号証の記載に合致していることに注意を払わなければならない。
 また、右証言中にある「夜間識別を松木博士に頼んだが、夜間であったため出来なかった様である」とは、前記第一、二、2記載の松木医師が山本署長、〔丙4〕巡査、〔丙5〕巡査部長の訪問を受け、八月二一日午後一一時ころから深夜にかけて実施した鑑定を指すものにほかならず、右検査の結果については、山本署長、〔丙4〕巡査のいずれもが、松木医師から人血であると知らされたが、 血液型については、記憶がない旨証言しており、まさに前記乙七七号証の記載と合致するのである。すなわち、松木名義の乙七七号証は、昭和二四年八月二一日実施の、松木・〔丙〕名義の乙七八号証は翌二二日実施の、各鑑定結果を記載したものなのである。
 3 捜査本部は、右艦定結果を得て、原告那須隆の逮捕状請求に踏みきったのである。その後、本件白ズック靴は前記のとおり引田医師及び科捜研で鑑定に付されたが、いずれも血痕付着を認めなかったのであるが、これは前記〔丙〕証言に照らしてみると、右両鑑定に先だって実施された前記八月二一日、同月二二日の検査において付着血痕を資料として使いはたしたか、あるいは水洗いした際に流れたものと推測し得るのである。そのため、捜査本部は前記研究所から本件白ズック靴の返還を受けた後、右靴をQ式検査に供することができなかったのである。本件白ズック靴についてQ式検査の鑑定書が存在しないことに注目すべきである。
 4 次に本件海軍シャツについてみると、松木明・〔丙〕作成名義乙一一一号証の鑑定書一通及び〔丙〕作成の乙一一二号証の二の報告書(写真添付)一通がある。乙一一一号証の鑑定内容は、「㈠付着せる斑痕イ、ロは血液である。㈡其の血液は人血である。㈢其の血液型はABO式に於いてはB型、Q式に於てはQ型である。尚図参のハ点、ニ点について血液試験を行った処顕著な血液反応を示した。」旨記載されており、前記第三段階に該ると理解(なお、図参チ、科学捜査研究所にて行った点の記載がある。)され、前記第一、八、2記載の昭和二四年一〇月一五日ころ実施したQ式検査の鑑定結果と判断される(同証冒頭に「昭和二十四年十月十五日付弘捜(鑑)発第二四九号を以って嘱託せられた鑑定」の記載があり、もとより右記載を直ちには信用し難いものの、右考察と一致することは注意をひく事実である。なお、前記第一、五、1に記載したとおり、松木医師及び〔丙〕技官は、科捜研に鑑定嘱託する以前である昭和二四年八月二三日ころ、本件海軍シャツ付着の斑痕は人血で、且つB型であることを鑑定の結果把握していたのであり、本証にMN式の記載(捜査の推移に照らすと、松木医師が本件海軍シャツについて、MN式検査を別個独立の機会に行う要をみない。)がないのは、 右の結果を記載したにとどまったからである。)。
 また乙一一二号証の二には、添付されている本件海軍シャツの写真撮影日が「昭和二四年十月十日午前一一時」と記載されているが、これも直ちに正確な記載とは見難いので考察を加えると、右写真の説明文中の「一、イ、はq型血液(東北大学にて本撮映後即ち十月十八日(注、前記のとおり十月十七日の誤記である。)頃切り採りQ型の血液試験した箇所)、二、ロ、松木医師Q型血液型の試験せる跡の穴。ヘはロの試験に対照とせる(斑痕無き箇所)穴(注、前記のとおり右記載は誤りであり、ヘは血痕付着部分として切り採り試験した箇所である。)。」旨の記載から、右写真撮影日は、松木医師のQ式検査後で且つ、東北大学三木助教授のもとに本件海軍シャツを持参した一〇月一七日以前、すなわち、一〇月一五、六ころと理解し得るのであり、また右報告書の作成日は、同書の追送が同年一一月一二日なされていることからみてそのころの作成とみられ、そのため日時の経過により、先のような軽率ともいえる誤った記載がなされたと理解されるのである。
 以上、要するに、松木、〔丙〕の本件白ズック靴、同海軍シャツについての鑑定書は、捜査の推移を念頭に置けば、何ら疑義を差しはさむ余地は存しないのである。

二 引田一雄鑑定について

 1 捜査本部は、前記第一、六、1記載のとおり、引田医師を信用しておらず、同