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所路上を経て〔乙29〕方裏に達する人血痕は、加害者が逃走の際、加害者自身から或いは加害者の携行した物件から血液が滴下して生じたものと考へられるが、加害者の血液によるものか被害者の血液によるものかは不明である。」旨鑑定した。
 検察官は乙一三二号証記載のとおり論告した。第一審裁判所は、昭和二六年一月一二日、本件殺人の点について無罪の判決をした。

一二 村上次男による鑑定

 検察官は、同年一月一九日仙台高等裁判所に対し、右判決について控訴を申し立てた。
 第二審裁判所は、同年七月二七日、東北大学教授村上次男に対し、乙第一三五号証記載事項について鑑定を命じ、同教授は同年八月三日から同二七年一月三一日までの間、右鑑定にあたり、
  (イ) 被害者が本件の記録に記載される様に仰臥し、その右側枕許に加害者が坐り、若しくはしゃがみ、上半身を前屈みにし、右手を以って凶器を刺し、被害者に又本件の記録に記載される様な創を作ったことを基礎とし、加害者がその時証第三号のシャツ(本件海軍シャツのこと)を着て居て、凶器を刺し初めてから抜き終る瞬間迄の間に、被害者の創口からの血液を直接受けたことを前提とすれば、証第三号のシャツの汚斑(既に切りとられてある部分を含む。但し明に血痕でないものやポケット裏の斑痕を除外する)の内、多くのものはその位置、形、量から考へて、その様にして生じ得ると考へられる。
 証第三号のシャツの汚斑(既に切られてある部分を含む。)の中には、先に述べた襲撃の際、被害者の刺入口から出た血液が、加害者の手拳等に触れて、方向を転じて付着し、生じ得ると考へられるものある。又先に述べた襲撃の際に、被害者の刺入口から出た血液が、一旦加害者の体部、衣類等に付着し、后之を二次的に受けて生じ得ると考へられるものもある。
  (ロ) 本件の被害者が、先に述べた襲撃を受け、母に抱きかかへられ、自己の名を連呼され、夫にひきつづいて、細い、小さい声で、簡単な言葉を述べることはあり得ると考へられる。
  (ハ) 証第三号のシャツのポケット裏の斑痕は現在切りとられてあり、その性質(大きさ、形、位置だけでなしに色やどちらから着いたか、血液検査の成績等)を直接知ることができない。従ってその成因も詳に知ることが出来ない。此の斑痕は血液でないものならば、その成因については知ることが出来ない。この斑痕がその周囲に、表布にも裏布にも、現在残る汚斑(又はその或るもの)と共に血痕であるとの前提が成立するならば、この斑痕は血液に汚れた物をこのポケットへ入れた為めに生じたであろうと考へられる鑑定。

一三 第二審判決及びそれ以後の経過

 検察官は乙一三七号証記載のとおり論告した。
 第二審裁判所は、昭和二七年五月三一日原判決を破棄し、原告那須隆に対し懲役一五年の判決を言い渡した。
 右判決に対し原告那須隆並びに弁護人から上告中立がなされたが、同二八年二月一九日上告を棄却され、同年三月三日確定した。
 なお、本件については、昭和四六年七月一三日仙台高等裁判所に再審請求、同四九年一二月一三日棄却、同月一九日弁護人異議申立、同五一年七月一三日原決定取消再審開始、同五二年二月一五日控訴棄却、同年三月二日確定している。

第二

    以上を要するに、本件捜査の推移は極めて自然で十分理解できるのであり、確かに捜査技術上稚拙な点のあったことは否めず、非難を加える余地はあるものの、決して証拠偽造等の疑念を差しはさむべき事実はいささかも存しないことが明白となったと信ずるが、更に重要な論点をとりあげて考察を加えることにする。

一 松木明・〔丙〕の本件白ズック靴、同海軍シャツに関する鑑定について

 1 前記第一、一〇記載のとおり、松木ないし松木・〔丙〕作成名義の鑑定書は、鑑定実施から相当日時の経過した公判請求後に書証化され、作成日付及び検査実施日付等は、鑑定書としての体裁を整えるだけとも言える不用意な記載がされたので、形式的記載事項については正確と言い難いのである。したがって、右鑑定書記載の検査が現実にいつ実施されたものであるかを確定(このことは、本準備書面の「はじめに」で指摘したとおり、本件の理解のために不可欠の事項である。)するに当たっては、同書記載の日付を決め手とすることはできない。そこでそもそも鑑定依頼は、捜査の必要に応じてなされることに思い至し、まずもって捜査の推移を念頭におくことが肝要である。そうすると本件捜査は、被害者の血液型がB型であるので、容疑者の着衣等からB型血液付着の確認を得ることができれば、本件罪体と結びつきがなると判断されていた第一段階(原告那須隆を逮捕して同人の血液を採取し、被害者と同一のB型であることが判明するまでの段階に該る。)、被害者と原告那須隆の血液型をMN式で区別しようと試み、その結果、共にM型であることが判明するまでの第二段階(前記〔丙3〕・平嶋鑑定の時期がこれに該る。)、そして、更にQ式で区別しようと試み、被害者がQ型、原告那須隆がq型であることが判明した第三段階(前記三木鑑定の時期がこれに該る。)に区分される。
 また、松木医師、〔丙〕技官の鑑定作業は、科捜研における鑑定期間(捜査本部が鑑定物件の返還を受けるまで 一か月余ある。)をはさんで前後期に二分される。
 2 そこで、まず本件白ズック靴についてみると、松木明作成名義の乙七七号証、松木明・〔丙〕作成名義の乙七八号証の二通の鑑定書があるが、乙七七号証には、「靴紐についている斑痕は血液であり人血である。ロ靴(両)底及び右靴の上にある斑痕はいずれも血液である。」「血液型は試料不足(検査に供した斑痕では血液型検査をするのに不足であったとの趣旨である)のため検出不確実である。」旨の、乙