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 同助教授は同日より同月一九日までの時間、検査を実施し、「一、弘前市警察署鑑識係が持参した松永夫人殺害事件の被疑者那須隆の血液はBMq型に属する。二、別添 (イ)の海軍開襟シャツ(本件海軍シャツのこと)にはQ型の血液が付着して居る。三、別添(ロ)の畳床藁(被害者の血液が多量付着して凝固したもの)にはQ型の血液が付着している。」旨鑑定した。

九 公訴提起

 1 検察官は、右木 鑑定を得たことで、本件海軍シャツに付着している血痕は、犯行時、被害者〔甲〕の血液が付着したものと確信し、前記〔丙3〕、平嶋鑑定に関する疑点を照会して解明のうえ、同年一〇月二二日前記三木鑑定書の送付を受けるや、同日、原告那須隆を本件殺人罪で再逮捕し、同月二四日、同罪により、青森地方裁判所弘前支部に公判請求した。
 2 なお、検察官は、これに先だつ同年一〇月一二日、原告那須隆を銃砲等所持禁止令違反で逮捕し、同月一四日勾留請求して認容され、 同月二一日まで勾留したうえ、翌二二日同禁止令違反で前記弘前支部に公判請求している。

一〇 松木医師による鑑定書作成

 1 ところで〔丙〕技官は、松木医師のもとで実施した鑑定結果について、逐次弘前市警察署長宛に鑑定報告書を提出していたのであるが本件公判請求後、右鑑定内容を鑑定書の形式で書証化することとされ、そのころ一括して松木明あるいは松木明・〔丙〕名義の鑑定書が作成された。
 このことに関し、山本署長は、右鑑定書について、昭和五一年一一月九日(再審)公判廷において、「これは正式のあれは松木さんに依頼した鑑定は、警察の時点にまいったと思いますが、それ以外の鑑察庁に行ってから、直接検察庁に送られたんではないかというような感じいたします」旨証言している。
 しかし右書証化するにあたり、松木医師のもとでなされた鑑定は、鑑定嘱託の手続をとってなされたものではなかったため、後日になって嘱託書を作成しなければなら ず、また実際実施した検査日についても正確に記録化されていなかったため、鑑定書の作成日付、あるいは検査実施日付等は不正確なまま、いわば鑑定書としての体裁を整えるだけとも言える不用意な記載がなされることになったものとしか考えられない。
 この間の事情は、松木医師が、右鑑定書について、昭和五一年四月二六日(再審)公判廷において、「ただ、警察であとのためにメモとして取っておきたいというのがその時の署長並びに県の刑事部長さんの要望でしたから、その要望にこたえて、簡単にメモ的程度のものを作ったわけです。」「鑑定の依頼書もそれを受け取って私やったわけじゃないんですよ。それみんなあとから適当に書類の形式上作ったもんですから、日にちのずれなんかも、おそらくあると思うんですよ。」旨率直に証言していることによっても優に窺えるところである。
 2 鑑定書をみると、
  ㈠ 乙七七号証中の「昭和二四年八月二〇日」の記費は、「昭和二四年八月二一日」の誤記(付言すると〔丙〕技官は当初から原告那須隆の検挙日を八月二〇日と誤解していたふしがある)とみられ、
  ㈡ 乙七八号証中には「一、此の靴は本年八月 日」と日にちの記載もれがあり、
  ㈢ 乙九六号証の一中の「昭和二四年八月二〇日」の記載は「昭和二四年八月二三日」の誤記であり、
  ㈣ 乙一一二号証の二中の「……東北大学にて本撮映後即ち十月十八日頃切り採り……」とあるのは「十月十七日」の誤記であり、また「ヘはロの試験に対照とせる(斑痕無き箇所)穴。」 とあるのは誤記で、「ヘ」の部分は血痕付着部分であって松木医師の試験に供した箇所なのであり、対照の点として切りとったのは背面部分で ある。
等、多々誤記ないし不備な記載が散見されるが、これは前記の如き経緯で作成された書証であるからにほかならない(なお、乙一一二号証の二が第一審第一回公判期日である昭和二四年一〇月三一日以後の同年一一月一二日追送されていることからも、前記一〇、1記載の事実を窺い知ることができる。)。
 3 松木ないし松木・〔丙〕名義の鑑定書が、右の経緯で作成された事実は、これら鑑定書を証拠として評価するにあたり慎重を要するところではあるが、しかし、それが書証として形式上社撰な点を超えて直ちに松本医師の鑑定事実及びその結果の正確性を覆えすことになるものではないことにも、十分配慮されねばならない。

一一 古畑種基による鑑定

 検察官は、同年一〇月三一日第一審第一回公判期日において本件ズック靴、同海軍シャツを提出した。
 第一審裁判所は、昭和二五年七月六日、東京大学教授古畑種基に対し、本件海軍シャツ、同白ズック靴、畳表(被害者の血痕が付着したもの)等の鑑定を命じ、同教授は 同年七月六日より同年九月二〇日までの間、右鑑定にあたり、「海軍用開襟シャツ(本件海軍シャツのこと)には人血痕が付着しているものと判定する。二、畳表には人血痕が付着している。三、(イ)海軍用開襟シャツに付着している人血痕の血液型と畳表に付着している人血痕の血液型とは完全に一致し同一人のものであると推定される。(ロ)海軍用開襟シャツに付着している人血痕と、畳表に付着している人血痕とは、その付着の時期に時間的間隔を認めることが出来ない。四、海軍用開襟シャツの人血痕は男女いずれのものか不明である。五、畳表付着の人血痕に於いて、私の検査した範囲では血液型の異なる血痕は証明できない。六、海軍用開襟シャツ付着の人血痕は昭和二〇年一〇月頃ソーダ溶液で洗濯する以前に付着したものではあり得ない。一般に血痕についてのQ式血液型の判定可能期間は大体二〜三年位と推測する。七、白ズック靴には現在人血痕の付着を認め得ない。八、〔乙〕邸内より木村産業研究