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の血液は夫々血液型B型を示した。四、又敷石の血痕、那須裏の血痕は血痕反応を認めその血液型はB型と思われる。」旨鑑定した。
 4 なお、検察官は、勾留延長の請求をして認容され、九月一一日まで勾留を継続し、翌一二日から同年一〇月一一日までの間、本件犯行が変質者による疑いがあったので、原告那須隆の精神鑑定のため鑑定留置を請求し、認容された。
 5 ところで、前記〔丙3〕、平嶋鑑定書の作成送付が遅延し、科捜研に引渡された前記鑑定物件は、同研究所から九月二五、六日ころ国警本部秘書企画課を経由して弘前市警察署長宛に小包郵送されたので、同署に到着したのは、早くても同月三〇日ころであった。
 したがって、本件白ズック靴と同海軍シャツは、任提領置又は押収の当初から、終始鑑定のために供されていた(本件捜査においては、右鑑定こそが最重要であり、とかくもその結果を得なければ被疑者の弁解の真偽を確認することはできなかったのである。)のであり、捜査本部が科捜研から右物件の返還を受けたのが、先のとおり早くとも九月三〇日ころで、既に勾留期間徒過後(しかも、前記のとおり〔丙3〕、平嶋鑑定では、被害者と原告那須隆の血液型は、BM型で同一であるというのであるから、なお鑑定の必要があった。)であるから、その間、原告那須隆に対する取調にあたって、これを示すことがなかったからといって、何等あやしむにはあたらない。

八 Q式血液型検査

 1 捜査本部は、被害者と原告那須隆の血液型が共にB型で同一であると判明した後、前記のとおり科捜研にMN式による血液型の鑑定依頼をする一方、松木医師に被害者と原告那須隆の血液型を区別しうるか否かの鑑定を依頼した。同医師は、松永教授等を介して逐次血清液を入手し、まずMN式検査を実施したが、いずれもM型で区別ができず、更にQ式検査の必要をみるに至り、その結果、遂に被害者はQ型、原告那須隆はq型で区別し得ることが判明したのである。
 右の経緯は松永教授が、昭和二四年一二月一三日(第一審)公判廷において、「本件容疑者が検挙された時も、同人の血が血液型B型である事から判断出来ないという事になりましたから、私は友人へMNの血清を貰いたいと話したところ届いて来ましたから、松木博士と〔丙〕技手に更に検査方をして貰いましたが、家内と本件容疑者は共にBM型を呈しました。このBMの組合せは百人中七人位の割合となっており、これ又鑑別が明らかになりませんでしたから、更にQ型の存在につき調査したいから血清を欲しいといって村上教授に話したところ、同人はさっそく送ってくれ、その検査を施したところ、家内の血液型はBMQとなり、容疑者のはBMqとなりました。このQ型に対しqというのはQ型を持っていない事を表しております。そこでこの判別により容疑者の衣服持物にBMQの血液型を有していると間違いないと考えられました。」旨証言していることからもよく窺い知ることができる。
 2 そこで、次にQ式検査の経緯についてみる。捜査本部は、前記七、5記載の経過で、科捜研から鑑定物件の返還を受けたのであるから、松木医師の本件海軍シャツ、同白ズック靴に対するQ式検査は、同年一〇月に至って開始されたとみられる。
 ところで、同年一〇月一三日付で、〔丙〕技官が東北大学医学教室三木敏行助教授宛に、「㈠九月上旬松永教授を経由して貰った第一回の抗Qにより浸出した被疑者の血液型はqで被害者のものはQであったが、第二回目の送付をうけたもの及び〔丙〕技官が貰って来た抗QによるといずれもQとなった。㈡今回〔丙〕技官が貰って来た抗Qによると(B)型血球によれば強い凝集反応を呈し、(O)型については凝集反応を示すものをあり示さぬものもある。㈢以上による(イ)今回の抗Qは完全に吸着を行ったものであるか、(ロ)右項㈠㈡の結果は何に起因するか。」旨電話照会し、翌一四日同助教授から「一、第一回の「抗Q」と第二回目の「抗Q」とに因ってどうして別な結果が出たかは、電話の話だけでは不明である。当方の第二回に送付したもの及び〔丙〕技官に差し上げたもので不合理を感じないで使用している。二、〔丙〕技官に差し上げたものは凝集素を吸着してある。しかしBq血球の余り大量に吸着すると「抗Q」凝集素価が低下するから、軽くしか吸着していない。したがって凝集反応を行う際に余り長く時間をかけるとすべてBの血球に凝集して来る。」旨返答を受けていることに鑑みると、前記松木医師及び〔丙〕技官は、九月上旬ころから何回かにわたり、被害者と原告那須隆の血液型を区別すべくQ式検査を実施し、被害者がQ型、原告那須隆がq型であることがほぼ判明していたこと、しかしQ式は未経験の検査方法であったため、右鑑定作業は相当の困難を伴ったことを知ることができる。
 そして、三木助教授から右のとおりQ式の検査方法について指導を受け、抗Q血清の品質確認をしたうえ、翌一〇月一五日ころ、本件海軍シャツについて、Q式検査を実施し、付着する血痕はQ型であることが判明したのであるが、なお右結果については十分確信できるものではなかった。本件白ズック靴については、既に数次の鑑定を経て、付着血痕は失なわれていたので、Q式検査は不能であった。
 3 捜査本部は、右のとおり松木医師から、本件海軍シャツの血痕はQ型である旨一応の鑑定を得たことから、翌一六日前記三木助教授に正式に本件海軍シャツに付着する血痕の鑑定を嘱託することを決定し、その旨鑑定処分許可状の発布を得たうえ、翌一七日〔丙〕技宮に同助教授のもとへ本件海軍シャツ、松永夫人の血液が付着した畳床藁及び原告那須隆の血液(生血)を持参させた。
 同助教授は本件海軍シャツの左側襟の左寄り部分を切りとって検査に供するとともに、同日本件海軍シャツを〔丙〕技官に返還した。