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「再審」「再審裁判所」――再審判決をした仙台高等裁判所

二 証拠の表示

 本判決理由のなかで引用する書証は、すべてその成立(写真についてはそれぞれ提出者主張のとおりの状況をその撮影年月日に撮影したものであること、写で提出されたものについては原本の存在とその成立)に争いないものであるから、いちいちそのことをことわらない。

昭和五二年(ワ)第二五一号国家賠償請求事件

判決

 〔住所略〕

原  告 那 須   隆
〈ほか九名〉
右一〇名訴訟代理人弁護士
南 出 一 雄
同    松 坂   清
同    青 木 正 芳
同    竹 田 周 平

 東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号

被  告       
右代表者法務大臣    
奥 野 誠 亮
右指定代理人      
宮 村 素 之
〈ほか四名〉


主文

一 被告は原告那須隆に対し金九六〇万二四〇一円及びこれに対する昭和五二年一〇月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告那須隆のその余の請求及びその余の原告らの請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告那須隆と被告との間においては、原告那須隆に生じた費用の五分の一を被告の負担とし、その余は各自の負担とし、その余の原告らと被告との間においては全部その余の原告らの各負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

 1 被告は原告らに対し、それぞれ別紙㈠請求金額明細表中「請求金合計額」欄記載の各金員及びこれらに対する昭和五二年一〇月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
 2 訴訟費用は被告の負担とする。
 3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

 1 原告らの請求をいずれも棄却する。
 2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二 当事者の主張

一 請求原因

1 無罪判決確定に至る経緯

 ㈠ 原告那須とみ(以下「原告とみ」という。その余の原告についても、以下姓を省略し、名のみで表示する。)は、亡〔丁2〕(昭和四六年九月一七日死亡、以下「亡〔丁2〕」という。)の妻であり、原告隆を含むその余の原告らは、いずれも右両名の間に生まれた子である。
 ㈡ 原告隆は、昭和二四年八月二二日、弘前大学教授松永藤雄の妻〔甲〕を殺害したとの被疑事実により逮捕されて、勾留、鑑定留置された後、同年一〇月二二日には別件の銃砲等所持禁止令違反の被疑事実でも逮捕、勾留されて、身柄拘束のまま、同月二二日、同令違反の罪で青森地方裁判所弘前支部に起訴され、さらに、同日前記殺人の罪により再逮捕されたうえ、これについても身柄拘束のまま、同月二四日、別紙㈡記載の公訴事実により同支部に起訴された。右両事件を併合審理した同支部は、昭和二六年一月一二日、殺人の点につき無罪の判決を、銃砲等所持禁止令違反の点については罰金五〇〇〇円に処する旨の判決を言い渡したので、原告隆は同日一旦身柄の拘束を解かれたが、同判決に対し検察官から控訴がなされた。原二審裁判所は、昭和二七年五月三一日、原判決を破棄し、殺人及び銃砲等所持禁止令違反の各罪につき、原告隆を懲役一五年に処する判決を言い渡した。そこで、同原告は右有罪判決に対し上告したが、これが容れられず、昭和二八年二月一九日上告棄却の判決がなされ、前記有罪判決は同年三月三日確定した。原告隆は、原二審裁判所において前記有罪判決が言い渡された後の昭和二七年六月五日から再び身柄を拘束され、以来この状態は仮出獄をする昭和三八年一月八日まで続いた。
 ㈢ 原告隆は、昭和四六年七月一三日、殺人に関する有罪判決について再審請求を行ったところ、仙台高等裁判所は、昭和五一年七月一三日、再審開始の決定をなしたうえ、審理の結果、昭和五二年二月一五日、殺人の点に関する検察官の控訴を棄却する旨の判決を言い渡した。そして、同年三月二日右判決が確定すると同時に、原告隆に対する殺人の点についても無罪が確定した。

2 被告の責任

   殺人の点につき原告隆を有罪とすべき証拠は何一つ存在しなかったにもかかわらず、前記1記載のとおり、同原告に対し有罪判決が言い渡され、同原告がその刑の執行を受けたのは、以下に述べるような捜査、訴追、裁判各機関の故意または過失による違法行為に基づくものである。

㈡ 捜査機関の不法行為

  ⑴  原二審の前記有罪判決においては、原告隆が着用していた海軍用開襟白シャツ(以下「本件白シャツ」という。)に殺害された被害者の血液型と同じ血液型の血痕が付着していたとされ、これが最も重要な直接証拠となり、同原告が犯人と認定されたのであるが、本件白シャツが押収された当時、右血痕は付着していなかったものであって、これは当時の捜査当局が押収