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存しないこと。
  ⑷ 同月10日ころ、原告隆宅便所付近の石に付着していた斑痕一点が発見されたこと、これを松木医師に鑑定依頼したところ、右斑痕は血液ではないことが判明したこと。
  ⑸ 同月一四日ころ、原告隆方北側の同市大字覚仙町に所在する〔乙29〕方裏入口付近の漬物石上に付着していた斑痕一点が発見されたこと、これを松木医師に鑑定依頼したところ、血液で、人血であり、その血液型はB型であると判明したこと。
 ㈢ 《証拠略》によれば、路上から採取した血液、敷石に付着していた血痕、那須方裏から採取した血痕について科捜研で鑑定がなされ、その結果いずれも血痕反応は陽性であったが、人血反応は不詳であったこと、血液型はいずれもB型で、路上から採取した血液についてはM型であることまで判明したが、右にいう路上から採取した血液、敷石に付着していた血痕、那須方裏から採取した血痕とは、前記㈠の⑴、⑵、㈡の⑴ないし⑸の各斑痕のいずれを指すのか、またそれらとは別個のものであるかについて、本件各証拠を検討するも十分に特定することができない。
 ㈣ 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
  ⑴ 前記〔乙〕方前路上から前記〔乙9〕方前路上を経て前記木村産業研究所前路上に至るまでの間には、前示のとおり血痕が点在し、各血痕間の距離は概ね数メートルないし数十メートルあり、最長のものでは約七五メートルもあること、しかるに、木村産業研究所前から同路を北進し、在府町に突き当った角を西方に曲り、前記 〔乙10〕方前路上に至る間の距離は約一九〇メートルであるが、この間には血痕ないし血痕様斑痕は一つも存しなかったこと(別紙㈢参照)。
  ⑵ 〔丙8〕は、昭和二四年八月七日、警察犬を使って前記〔乙〕方離座敷東側窓下の草の踏みつけられた跡の臭いを頼りとして二回にわたり犯人の足取りを追跡させたところ、その経路は、右東側窓下から北方へ、次いで西方へ進み、離座敷の南西方向に接続している〔乙〕方母屋をひとまわりして表門付近に出たあと、木村産業研究所との境に近い生垣を抜けて右表門前を南北に走る道路に出、前記路上血痕滴下のあとをたどって同研究所前を北方へ直進し、在府町の丁字路に突き当る少し手前西側の〔乙44〕方空地内に入って同所の井戸のまわりをめぐって再び元の道路に戻り、右丁字路を西方へ折れて〔乙10〕方へ至る手前の〔乙55〕前路上まで続いていること(別紙㈢参照)。
 ㈤ 以上認定の各事実を総合すれば、原告隆方付近で発見された血痕様斑痕のうち、人血でB型であることを認めている鑑定書は、乙第一一号証(〔乙10〕方玄関前の敷石上の血痕に関するもの)と乙第二六号証(〔乙29〕方裏入口付近の漬物石上の血痕に関するもの)のみであり、これとても人血でB型であるというだけでは必ずし被害者の血液に由来するものとは断定しえないうえ、右二通の鑑定書は、前記1㈥及び(ハ)で説示したように、正式の鑑定書というべき性質のものではなく、検察官沖中益太も右事情を知っていたものと推認されること、右㈣⑴及び⑵で説示した事実からすれば、〔乙〕方前から〔乙9〕方前を経て木村産業研究所前へ至る路上に点在する血痕が仮りに被害者の血液に由来するものであるとしても、これと原告隆方周辺の血痕ないし血痕様斑痕との間に関連性があるものとはにわかに認め難いこと、さらに、原告隆方周辺の斑痕のうち前記松木鑑定により血液と認められたもののすべてが血痕であって、しかも犯人が逃走する際滴下もしくは付着せしめたものであると仮定しても、それらの血痕が犯人が原告隆宅へ逃げ込む際に生じたものであるとみるのは、その付着状況からしてあまりに不自然であることに鑑み、公訴提起時において、右二通の鑑定書をもって原告隆方周辺の血痕様斑痕が被害者の血液に由来するものであると認めることはすこぶる危険であったといわなければならない

4 〔乙2〕の供述について

 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
  ⑴ 本件発生当時、被害者〔甲〕は、夫藤雄が不在であったので、長女及び群馬県から遊びに来ていた実母〔乙2〕(当時五九歳)とともに、前記〔乙〕方離れの階下八畳間に蚊帳をつって寝ていたこと、右三名は、午後一〇時ころ、頭を西方に向け、南側から順次被害者〔甲〕、長女、〔乙2〕の順に寝たが、その際部屋には二燭光の小さな豆電球をつけていたこと、その後間もなく本件が発生し、犯人を目撃したのは〔乙2〕ただ一人であったこと。
  ⑵ 〔乙2〕は、被疑者として原告隆が逮捕された後の昭和二四年八月三一日、青森地方検察庁弘前支部において、検察官沖中益太に対し、自分は犯人の横顔と後姿を見ており、今でも犯人の横顔や後姿を見せてもらえばその人が犯人であるか否か判断がつくと思うと述べ、さらに同日、中津軽地区警察署において、写真室のガラス窓から当時被疑者として逮捕されていた原告隆の横顔と後姿を透視したうえ、同検察官に対し、私が見た犯人とそっくりであるし、右側から見た横顔の輪郭や、後から見た姿も全く同一であり、今日見せてもらった男と私が見た男とが余りにも酷似しているので、この男に娘があのようなひどい目に会わされたのかと思い、つい気分が悪くなったくらいである旨述べていること。
  ⑶ しかるに、〔乙2〕は、原告隆が被疑者として選捕される以前の同月八日、弘前市警察署において、警察官に対し、その晩は寝るとき二燭光の小さな電気をつけていたので、娘を殺した犯人の顔はほとんど見えなかったが、服装だけはだいたい見たと述べていること。
 以上の各事実が認められ、右事実によれば、〔乙2〕は犯人の顔をよく見たわけではなく、面通しの際もただ単に犯人の横顔と後姿の輪郭から受けた印象をもって原告