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で、B型である旨の記載がないこと、また、鑑定主文には「尚図参のハ点、ニ点について血液試験を行ったところ、顕著な血液反応を示した。」と記載されているのに対し、図参のハ点、ニ点の説明では、いずれも「血液(人血及び血液反応は行わなかった)」と矛盾する記載がなされていること、したがって、右鑑定書の記載からはそのいずれが真実の鑑定結果を記載したものであるか判断し難く、少なくとも鑑定書の記載の仕方としては極めて不正確、不適当であること、さらに、同鑑定書の「二、斑痕付着の状況」の項に、「ヘ点及びト点は上方斑痕部に平行した近くから滴下した如く認められ……」とあるが、図参のト点は斑痕の付着している個所とは認められないうえ、図四をも合せ考えれば、右「ヘ点及びト点」とあるは「ヘ点及びニ点」の誤りと認められること、加えて、同鑑定書添付の図四の「実物大に謄写した(二四・十一日)」なる記載のカッコ内は何を意味するのか不明であることなど鑑定書の記載内容に明白な誤りや矛盾点、不明確な点が多いこと、同鑑定書は、鑑定人松木明、同〔丙〕の共同作成名義となっているが、〔丙〕は、弘前市警察署刑事課鑑識係に所属していた技手であり、本件には捜査本部鑑識班の一員として指紋採取などの鑑識活動に従事していたこと、同人は、県立弘前中学校卒業後、約五年間国立弘前高等学校(いずれも旧制)の聴講生を経て警察官となり、昭和一八年ころ一旦依願退職した後、終戦後再就職し、昭和二四年四月ころから弘前市警察署に技手として勤務していた者であり、聴講生をしていた当時、同校物理学教室の実験助手をした経験はあるものの、本件発生当時は鑑識係の技手としてわずか数か月の経験を積んだのみであり、他に鑑識に関する講習等を受けたこともなく、ましてや血痕に関する鑑定をしたことなど一度もないこと、したがって、同人は、本件血痕を鑑定するにつき特別の学識経験を有していなかったというべきであること。
 以上の各事実が認められ(る。) 《証拠判断略》
 右事実によれば、検察官沖中益太は、科捜研における〔丙3〕・平嶋鑑定をもってしては本件白シャツに付着していた汚斑が人血であることを証明するには不十分であると考え、右鑑定人両名に対し、その鑑定結果について補足説明を求めるべく、昭和二四年一〇月一四日付捜査嘱託書により、東京地方検察庁にその捜査を依頼しているのであって、そのことからすれば、同検察官は、本件白シャツに付着している汚斑が人血であることを確認する必要性を十分認識し、この点に細心の注意を払っていたものと推認しうること、したがって、同月一七日、東北大学の三木助教授に鑑定を依頼するに際しては、まず第一に本件白シャツに付着している汚斑が人血であるか否かを鑑定事項とすべきであるにもかかわらず、敢えてこれを鑑定事項として掲げず、右汚斑が人血であることを前提としたうえで、その血液型がQであるかqであるかのみを鑑定事項としたこと、その後判明した前記捜査嘱託に対する回答によっても、本件白シャツに付着している汚斑が人であるとは断定しえなかったこと、他方、松木・〔丙〕作成の同月一九日付鑑定書(本件白シャツに関する甲第九号証、乙第一一一号証)には、 本件白シャツに付着している斑痕が人血である旨記載されているものの、同鑑定書の作成経緯、記載内容の正確性、松木医師はともかく〔丙〕技手は鑑定人としての学識経験を有していたか否か大いに疑問の存することなどを勘案した場合、刑事裁判の証拠たりうる正式の鑑定書とは到底いえない性質のものであること、本件公訴を提起するまで、右松木・〔丙〕鑑定書以外に本件白シャツに人血が付着していることを認める証拠は存しなかったことが認められ、また、前記1㈧説示の事実関係によれば、検察官沖中益太は、右松木・〔丙〕鑑定書の作成経緯等に関する右事実を十分承知していたものと推認するのが相当であり、またその職掌柄これを知るべき状況にあったものということができる

3 原告隆方周辺の血痕に関する捜査について

 ㈠ 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
  ⑴ 本件犯行の翌日、現場付近を捜査した警察官は、弘前市大字在府町〔略〕所在の〔乙〕方敷地内玄関前付近から衣門に至る間に五点、右表門に接してその北側にある潜り戸付近の道路から同路を南方に進み、突き当って西方に曲った同町〔乙9〕宅前路上に至る間に一八点の血痕が点在しているのを発見したこと、これらの血痕につき、引田教授に鑑定を依頼したところ、いずれも人血にしてその血液型はB型であることが判明したこと。
  ⑵ 同年八月八日ころ、同町所在の木村産業研究所前路上において、血痕様斑痕一点が発見されたこと、これを松木医師に鑑定依頼したところ、人血にしてその血液型はB型であることが判明したこと。
 ㈡ 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
  ⑴ 昭和二四年八月八日ころ、原告隆宅の東側隣家である〔乙10〕方玄関前の敷石上に斑痕六点が発見されたこと、これらの斑痕を松木医師に鑑定依頼したところ、 血液で、人血であり、その血液型はB型であることが判明したこと。
  ⑵ 同月八日ころ、右〔乙10〕方宅地内にある道路側の笹藪の笹の葉に付着していた斑痕七点、原告隆方宅地と〔乙10〕方宅地との境界に設置されていた垣根のうちで原告隆方宅地内にある笹の葉に付着していた斑痕八点が発見されたこと、これら笹の葉に付着していた斑張につき松木医師に鑑定依頼したところ、あるものは血液で、人血である(血液型は不明)が、あるものは血液でないことが判明したこと。
  ⑶ 同月八日ころ、〔乙10〕方潜り門(小門)敷居上に付着していた斑痕二点が発見されたこと、松木医師の鑑定によれば、右斑痕は人血で、その血液型はB型とのことであるが、これを裏付ける鑑定書は