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は、前記のとおり、同年八月二〇日と同年一〇月四日の二回にわたり本件白靴を鑑定したことになっているが、本件白靴が最初に松木医師のもとに運び込まれたのは同年八月二一日午後一一時ころであること(領置調書によれば、警察で領置したのは同月二二日である。)、右二回の鑑定について、いつの時点でどのような検査を行い、どのような結果を得たのかが明らかでないこと、本件白靴に関する同年一〇月一九日付松木・〔丙〕鑑定書添付の図壱のイ点、図弐のア点、オ点に血液反応があった旨記載されているが、同鑑定書第三の三「⑴血液試験」の項では、右各点についても同様の試験を行ったが反応がなかったとの矛底する記載や、そのいずれとも記載のないものがあること、また、同鑑定書添付の図弐のイ点は人血である旨記載されているが、同鑑定書第三の三「⑵人血試験」及び「⑷鑑定」の項には、それぞれ図弐のイ点につき人血試験を行った旨及び人血であると認められる旨の記載が全くないという矛盾があること、したがって、右二通の鑑定書は、 その記載内容自体から極めて杜撰なものであるとわかること。
 ㈧ 本件が発生した昭和二四年八月当時は、 新刑事訴訟法が施行された直後であり、警察と検察庁との関係においても、司法警察員が検察官の指揮を受けて捜査を進めるという従来の関係がほとんどそのまま踏襲されていたこと、特に本件のようなその地方における重大事件については、警察の捜査会議の結果や重要な捜査活動についてはすべて検察官に報告し、終始連絡を取り合って捜査を進めていたこと、本件捜査本部の幹部の一人である〔丙12〕警部は、ほとんど毎日検察庁へ出かけ、沖中検事に捜査状況を報告するとともに、その指揮監督の下に捜査を進めていたこと、血痕に関する鑑定結果も逐一検察官に報告され、令状請求の際も一件記録をあらかじめ検察官に閲読してもらったうえ強制捜査を行なっていたこと、当時、重大事件については、このような捜査の進め方が習慣となっていたこと。
 以上の各事実が認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
 右事実によれば、逮捕状請求の際、最も重要な物的証拠と考えられていた本件白靴については、その後引田教授の鑑定によっても、また、当時捜査当局が最も権威ある機関として信頼していた科捜研の鑑定によっても、ついに血痕が付着しているとの証明が得られなかったこと、昭和二四年一○月四日付松木鑑定書及び同月一九日付松木・〔丙〕鑑定書は、その鑑定依頼の趣旨、鑑定書の作成経緯、記載内容などに照らして刑事裁判の証拠たりうる正式の鑑定書とは到底いえない性質のものであることが認められ、しかも前記㈧で説示した事実関係のもとにおいては、検察官沖中益太は、少なくとも右松木鑑定書及び松木・〔丙〕鑑定書に関する叙上の諸事実を知っていたものと推認するのが相当であり、またその職掌柄これを知るべき状況にあったものということができる

2 本件シャツに関する捜査について

 《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる。
 ㈠ 弘前市警察署の〔丙9〕巡査部長は、青森地方裁判所弘前支部裁判官の発した捜索差押許可状に基づき、警察官数名とともに、昭和二四年八月二二日午後四時ころから、原告とみ立会いのうえ弘前市大字在府町〔略〕所在の〔丁2〕宅の捜索に着手し、同日午後五時一五分ころ、那須宅の玄関から向って右側八畳間の東側に隣接する六畳間鴨居の釘様の衣服掛けにかけてあった本件白シャツを押収したこと、原告隆は、本件白シャツを押収される直前まで、これを着て自宅庭の松の木の手入れをしていたのであるが、突然任意同行を求められたため、これを着替えて前記六畳間鴨居の釘様の衣服掛けにかけ、その上で警察へ出頭したこと、本件白シャツは、終戦後間もないころ原告が大湊へ赴いた際たまたまもらい受けて来たもので、以後同原告は毎年夏になるとこれを作業用として着用し、本件発生のころにも、また同月二二日庭の松の木の手入れをした際にも着ていたこと、本件白シャツは、襟が開襟型で、左右の襟端に長さ約二三センチメートルの襟紐が付いている厚手の布製品であって、い わゆる七分袖であること。
 ㈡ 本件白シャツにつき、捜査本部の指示により、同月二三日ころ、前示の本件白靴に関する松木鑑定と同趣旨で松木医師に一応検査してもらった結果、数日後に、付着している血痕は人血でその血液型はB型であることが判明したこと(捜査本部に血液型が判明したのは、科捜研に鑑定を依頼した同月二六日ころと推定されるが、その 日時は必ずしも明らかでない。)
 ㈢ 同月二四日、弘前市警察署長は、前記引田教授に本件白シャツの鑑定を依頼して、その資料である本件白シャツを同教授に届けるに際し、那須宅から収された他の衣類多数とともに小型のこうりに一括して入れられたまま運んだこと、同教授は、鑑定物件全部に一応目を通し、肉眼でみて血痕が付着していると思われるものから順次鑑定を始めたが、本件自シャツの鑑定に着手する以前の同月二五日ころ、警察官が理由も告げずに鑑定物件全部を持ち帰ったため、本件シャツについては鑑定することができなかったこと、なお、本件白シャツが引田教授のもとに持ち込まれたことは、同教授に対する鑑定嘱託書記載の鑑定資料と科捜研に対する鑑定嘱託書記載のそれとを比較すれば、前者は後者より白色ズック靴が一足少ないだけで他は全く同じ資料であり、そして科捜研には鑑定嘱託書に記載されている全ての鑑定資料が届けられており、その中には本件白シャツも含まれていることからも窺えること。
 ㈣ 弘前市警察署長は、 同月二六日ころ、国家警察青森県本部を通じて科捜研に本件シャツに付着しているものは血液か否か、血液とすれば人か否か、人血とすればその血液型は何型かについての鑑定を依頼し、同年九月末ころ、〔丙3〕・平嶋侃一作成の鑑定書の送付を受けたが、その鑑定