Page:Eigo-enzetsuho.pdf/207

提供:Wikisource
このページは校正済みです
(195)
 

ふることゝ、軍神に訴ふることゝ、我等には此二を除ひて他に求むるところは何ものもないのである。

人は言ふ、我等の力弱くして、我等は到底斯る大敵に抵抗すること能はずと、されども何時我等は今よりも一層强くなることが出來るか、此事の出來るのは來週なるか、將た又た來年なるか、或は又全く武裝を解ひて、英軍が各戶に宿泊するの時なるか、我等は不決斷と不活潑の行動に依りて兵力を集むることが出來るか、敵が我等の手足を束縛するに至るまでも、只だ徙に橫臥し、空望にのみ耽つて、能く効力を有する抵抗を試むることが出來るか、若し我等は神が我等の力に適當して與へ給ふ方法を充分能く用ゐるならば、我等は決して弱きものでない。自由と云ふ神聖なる味方に加はり、又た我等が所有する如き邦土に在りて、武裝したる三百萬の人民は、敵が如何なる兵力を差向けるも、我等に勝つこと覺束ないのである、且つ又我々人民のみが戰鬪に加はるのでなく、其外には我々國民の運命を守護し給ひ、我等の戰爭に參加すべき幾多の同志の者を募らせ給ふところの正義の神は存在し給ふではないか、要するに戰勝者は獨り强者のみに限らず、注意周到なる者、活潑なる者、勇氣に富める者は、亦た戰勝者の內に數ふべきものである、今や我等には死するか、逃げるか、何れか其一を擇ぶことも出來ないのである、若し我等は劣等なる考に依りて