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二十五日。巴丁巴丁市 Baden-Baden の遊あり。午前十時汽車カルヽスルウエを發し、午時市に達す。卽ち羅馬時代の古市 (Civitas Aurelia aquensis) 是なり。鑛泉全歐に名あり。來り浴する者甚だ衆し。停車塲より馬車にてホオヘンバアデン Hohenbaden の古城に至る。城は高丘の上に在り。第十七世紀佛兵に毀たる。今存ずる所は其外郭なり。其下民家碁布オオス溪 Oosthal 迂囘し、眺望頗美なり。府知事余等を城庭 Schlosshof に迎へ、食を供し、樂を奏す。是より佛特力泉 Friedrichsbad を觀る。ロツツベツク夫人と再會す。夕六時會話廳 Conversationssaal に會す。盛饌を供せらる。前園には十字形の大燈を點す。歸車中ポムペと語る。余等に向ひて曰く。諸君の中森氏の面大に林紀君に似たり。林紀君の倭蘭に在るや、殊に婦人と葛藤を生じ、余をして機外神 Deus ex machina の役を勤めしめたり。森氏の性亦之に類することなき乎と。又曰く。余が日本に在りて行ひたる所は今や只ゞ歷史上價値を存ずるのみ。而れども常時は隨分至難なる境に逢ひしことありと。

二十六日。午前十時臨會。歐洲の諸會は歐洲外の戰あるに臨みて傷病者の救助を爲すべきや否の問出づ。是れ和蘭中央社の出す所にして、眼中唯ゞ歐洲人の殖民地あるを見て發したる倉卒の問なり。余石君の同意を請ひし後曰く。本題は單に歐洲の諸會を以て救助を爲す者と見倣したる問なり。若し決を取るに至らば日本委員は贊否の外に立つべしと。米國委員は默然たり。議論百出して決を取るに至らず。

二十七日。午前十時臨會。前議を繼ぐ。余石君の許可を得て後曰く。日本委員は前日演べたる說を維持す。畢竟本題を國際會に出さんと欲せば、宜く「一大洲の赤十字社は他の大洲の戰に」云々と云ふ如き文に改むべきなり。是れ修正案を提出するには非ず。之を言へば則ち足れり。若し夫れ本題に反對せる塲合卽ち亞細亞外の諸邦に戰あるときは、日本諸社は救助に力を盡すこと必然ならんと思考す。全會壯哉 (Bravo ! ) と呼び、謹聽と呼ぶ。背後の一議員會員簿を閱して曰く。學士森林太郞 (Rintaro Mori, Dr.) なり。大學の科程を經たる者は自ら殊なる所あり云々。ポムペ偶〻書記席より自席に歸る。余が傍を經、余が肩を撫し、一笑して去る。書記の役を勤る佛人エリサン Elissen 來りて演說の草案を請ふ。余素より卽席にて考へたること故草案なし。乃ち此意を述ぶ。