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む。又モアニエエロングモオアに石君を引き合はせ、舌人となりて語を交へしむ。夕八時大臣ツルバンの家に招かる。大侯、大侯夫人石君に挨拶あり。余傅譯す。バルトン氏と語る。ツルバン氏の女は紅頰の少艾、客に接すること頗る懇切、余と語ること敷十分時なりき。

二十三日。午前十時臨會。此日防腐療法を軍隊に用ゐることを勸むる議出づ。余日本委員一同に代り、日本陸軍には已に公然此法を用ゐる法則を設け、且其材料を備へたることを報ず。午後二時半カルヽスルウエ擔架團 Karlsruher Krankentraeger Corps の演習を觀る。私社なれども救護者の制服は皇后陛下の親ら定められたる所なりと云ふ。五時三十分大侯宮に赴く。カルヽ王 Prinz Karl 及其夫人 レナアル Graefin von Rénard と語る。レナアルは頗る言辭に善し。多く東洋紀行を讀み、我邦の事に熟す。大侯夫人は石君に對して日本陸軍の防腐療法を普施することの速なるを賞讚す。八時カルヽスルウエ軍醫會にグロオセ氏客舘 Hôtel Grosse に赴く。石君演說す。余傅譯す。此日ブラジリヤ Brasilien 帝ドン、ペドロ Don Pedro に謁す。白頭の老人なり。古言學に邃しと云ふ。伊國人ソンメル Chevalier Guelfo von Sommer と語る。曰く僕君が日本兵食論を譯し、新誌に揭げ、曾て一本を君に寄せたることありと。余偶然相見る喜を叙し、更に今囘維納の會に出さんとて草したる文 (Zur Nahrungsfrage in Japan) 數部を贈る。

二十四日。午前十時臨會。此日ジユネフ國際社各政府の認可を受くることを要する議出づ。ハイデルベルヒ Heidelberg 大學敎授シユルチエ Schulze の國際法上より論究して之を贊成したる演說は大に人聽を驚かせり。普魯西の吏ヘプケ Preussischer Legationstrath Dr. R. Hepke 之を駁す。少く過激なりき。午後二時會塲にてグラスケ敎授 Professor Graske 新彈 (Lorenz's Compound Bullet) の說を演ぶ。新彈は小銃彈の鋼鐵薄皮を被れる者にして、物に中りたる後分裂變形すること稀なり。故に創傷單純にして治し易しといふ。三時造彈廠 Deutsche Metall-Patronen-Fabrik Lorenz に至り、新彈射的試驗を觀る。ロングモオア其夫人と亦來る。七時樂を聚珍會舘 Museums-Gesellschaft に聽く。シエツフエル Scheffel の詩 Lied der Margaretha を唱へたる女優、音調最美、容色も人に超えたり。