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二十日。雨。軍醫監アイレルト救護社の第一議長オツトオ、ザツクス Otto Sachs 來り訪ふ。午餐後谷口と市苑 Stadtgarten を散步す。苑の一部は之を劃して動物檻を設く。四時大臣ツルバン Turban, 軍醫監ホツフマン Hoffmann 及ザツクスの家を訪ふ。

二十一日。一等軍醫ロオス Loos 來り迎ふ。石君谷口と同じく陸軍病院及榴彈卒隊 Grenadier の營を觀る。是より議院 Staendehaus に至り、會議日割表等を受領す。

二十二日。午前赤十字各社委員會 Delegiertencommission を開く。日本赤十字社の代表人たる松平乘承之に赴く。余舌人として隨行す。國際會の議事規則 Geschaefts-Ordnung を議定す。議長伯爵ストルベルヒ Otto Graf zu Stolberg は獨逸中央社長たり。容貌優美、一目して其貴人たるを知る。議員中人の目を注ぐは瑞西萬國社長モアニエエ Moynier, 米婦人バルトン氏 Miss Clara Barton なり。モアニエエは矮軀短首、頭髮頒白、大鼻の中央にして屈折したるさま、國匠畫くところの木葉天狗に髣髴たり。バルトン氏は面色淡黃、雜白の頭髮を中央にて分ち、左右に梳りたり。眼光人を射る。數〻發言して其長處を現はしたるは佛國のエリサン Albert Elissen, 魯國のオオム Geheimer Rath von Oom, 索遜のクリイゲルン von Criegern 等なり。日本委員は別に意見もなきこと故、唯ゞ多敷決などを取るとき、大意を松平君に譯傅し、起立せしむ。歸途一人ありて余等に近く。軀幹魁偉、白頭朱顏、其顱の形雲谷畫の阿羅漢像に似たり。曰く余は和蘭の人ポムペ Pompe van Meerdervoort なり。余の曰く君は新醫學を我日木に輸入したるポムペなる乎。曰く然り。乃ち松本翁健在せり又家君間接に足下の門より出づなどゝ吿げて分る。午後三時石君、谷口と同じく日本政府の代議士として萬國會に臨む。ストルベルヒ議長たり。會員中知名の醫家はロングモオア Sir Thomas Longmore なるべし。長軀瘦面、英人の特相なれども、面容常に笑を帶ぶる處、例の冷淡なる英紳士風と自ら殊なる所あり。紅色の軍服古くして斑なるも面白し。此人軍醫監にして大學敎授を兼ぬ。普國軍醫監コオレル、拜焉國軍醫總監ロツツベツクも亦在り。會傷は議院 Staendehaus なる故、階上には貴族席あり、大侯及夫人臨まる。ストルベルヒ開會演說をなすに當り、特に日本の事を述ぶ。余石君以下に吿げて起立して謝意を表せし