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二十七日。菌學月會局を結ぶ。コツホ師の衞生試驗所に入る。

二十八日(土曜)。午後加治とクレツプス氏珈琲店 Café Krebs (Neue Wilhelmstrasse) に至る。美人多し。云ふ賣笑婦なりと。一少女ありて魯人ツルゲネエフ Turgenieff の說部を識る。奇とす可し。

二十九日。始て大和會に臨む。大和會は在獨逸日本人を以て組織す。小松原英太郞等幹事たり。每月最尾の日曜日に之を開く。麥酒を喫し、新聞を讀みて逍遣するのみ。福島大尉頃ろ此に至る。亦臨む。福島は公使舘附の士官にして、在獨逸陸軍留學生取締の命を帶ぶ。余も亦取り締まらるる一人なり。

三十日。家書に接す。小池の譯する所の日本の實事の日々新聞に載せられたるを見る。

三十一日。コツホ師實驗の題目を授く。夜乃木、川上兩少將の家に會す。小松宮を始とし、伯林に滯在せる武官畢く集る。麥酒葡萄酒茶菓等の饗あり。今より每月第二の日曜日を以て此に會すべき約を爲す。

六月一日。南人の夢にだに知らざる長日短夜の時節は來りぬ。窓に倚りて衣を縫ふ貧婦は燈油を省くを喜び、午夜に旗亭を出る醉客は街頭の竿燈を見て無用の長物なりと罵るも可笑し。頃日專ら菌學を修む。北里、隈川の二氏と師の講筵にて出で會ひ、週ごとに一二度郊外に遊ぶより外興あることもなし。

四日。兩氏と壯泉 Gesundbrunnen の一私苑に至る。此日は猶ほ暮天の冷氣身に快からねばにや、遊人いと少し。

七日。夜隈川の家にて日本食を饗せらる。

十二日(日曜)。川上、乃木兩少將の家に會す。

十五日。居を衞生部の傍なる僧房街 Klosterstrasse に轉ず。(№ 97 I bei A. Kaeding; Berlin C.) これに遷るには樣々の故あり。公には衞生部に近きが故なりと云へど、是は必ずしも主たるにあらず。マリイ街の戶主ステルン