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橋本は技に巧なるのみ。石黑は敏捷用ゐる可し。緖方は戇愚惑ひ易し云々。又曰く。若し赤十字同盟國開戰の布吿あるときは、日本軍醫も亦其力を竭さゞる可らず。而して能く之に當る者は果して誰ぞ。余は兩君の如き者敷十人を得んことを欲するのみ云々。此日僑居を卜す。 (Berlin N. W; Marienstrasse 32 I bei Frau Stern.)  

十九日。會計監督野田豁通を訪ふ。晚隈川宗雄に谷口の家に逢ふ。

二十日。北里余を誘ひてコツホ Koch を見る。從學の約を結ぶ。大陸骨喜店 Café Continental に至る。南米の人ペニヤ、イ、フエルナンデス Peña y Fernandes に邂逅す。德停府交遊中の一人なり。亦コツホに學ぶ。

二十一日。龜井子を訪ふ。楠秀太郞と相識る。龜井子は瘦癯、顏色蒼然、人をして寒心せしむ。家人寄する所の寢衣を出して余に授く。余問ひて曰く。既に良師を得たまふや否。曰未だし。曰之を得るに意ありや。曰未だ思ひ到らず。曰航西なされしは何故なるか。曰く美學 Aesthetik を修むるなり。曰僕の識る所ミユルレル Mueller といふ者あり。獨乙語の師と爲すに宜し。君意あらば此人をして君を訪はしめんと。辞して歸る。午後武島務を訪ふ。三等軍醫なり。

二十二日。靑山胤通を訪ふ。龜井子訪はる。

二十三日。ミユルレルを訪ふ。龜井子の家に赴き、語學の事を談ぜんことを請ふ。

二十四日。ミユルレル至る。曰く。今朝龜井子の家に行きしが在らざりき。余老衰屢〻行くことを欲せず。願くは君龜井子をして余を訪はしめよと。余諾す。ロオト氏年報材料の稿成る。寄送す。

二十五日。警察署に至り、滯府の事を陳ず。山根大尉と語る。石黑氏の書至る。夜武島誕辰の祝宴に赴く。

二十六日。隈川宗雄來る。伊太利酒店に至りて晚餐す。隈川は當今此に在る醫生中最も學問に志ある者の如し。

二十七日。家書至る。