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り、刺の佛文ある者を婢に托し、チルチエルの來るを待ちて返戾せしむ。然るにチルチエルは此事ありしより後、啻に懺悔の意なきのみならず、岩佐を敵視す。故に岩佐は日夕東洋骨喜店に入らずと云ふ。此日余チルチエルの呼ぶを聞き、往いて其意を問ふ。チルチエルの曰く。君は今獨坐し給ふ如し。話したきこともあれば、吾黨の間に光臨せられば幸甚ならん。余其坐間を窺ふに、骨喜店の名物たる羊質虎皮の壯年のみ。余は心に快しとはせねど、其所謂話したきことは、大槪余の知る所にして、早晚一段落をなさゞるべからず。乃ち往いて座に着きたり。チルチエルの曰く。近ろ岩佐君の刺を得たり。裏面に數行の佛文あり。余岩佐君の意を解すること能はず。君此事を知れりや。或は思ふ、岩佐君はその曾て贈る所の刺の余に濫用せられたるを疑ひて、此刺を余に投じたるならんと。是れ余を輕視することの甚きなり云々。余の曰く。佛文は何の語なりしか。曰確には記せねど、君來て此卓に坐する意なきやと云ふ樣なることなり。曰然る歟。岩佐の此擧ありしことは予毫も知らず。但ゞ余は君が岩佐の君を自家坐する所の卓に招く文を看て、却りて奇怪なる解釋を下したるに驚くのみと。チルチエルは言を左右に託して歸り去れり。余は暫く留まり坐したり。因りて在席者の何人たるを叩くに或はハイデルベルヒ Heidelberg 逆旅の番頭なりと云ひ、或は伯林の陶磁商なりと云ふ。其他は推知す可し。話次番頭の曰く。君大學諸生輩の決鬪を見たりや。余の曰く。見たり。曰君は定て此の如き事を嫌ひ給ふならん。僕も亦太だ厭へりと。余故らに少しく聲を勵まして曰く。諸生輩の爲す所は固より兒戲に過ぎず。若し夫れ一身の榮譽に關する事あるに當りては、余別に說ありと。番頭呆然語なし。

二十日。原田岩佐と「グリユウンワルド」Gruenwald (Dachauerstrasse) に晚餐す。

二十六日。始てソイカ Soyka に試驗塲に逢ふ。矮にして瘦す。八字髯甚長し。鼻頭少しく紅。近視度の靉靆を帶びたり。

三十日。レエマン Lehmann 鄕に還る。鄕は瑞西チユウリヒ Zuerich なり。其妹の婚禮に與るなり。禮畢らば伯林の自然學者集同に赴き、九月の末に歸らんと云ふ。送りて發車塲に至る。夜王國骨喜店 Café Royal に至る。一邦人に逢ふ。橫山又二郞と曰ふ。此に來て地底古物學