Page:Doitsu nikki(diary in Germany).pdf/61

提供:Wikisource
このページは検証済みです

Landwehrstrasse に卜す。妾名はマリイ Marie フウベル Huber 氏。曾て「ミネルワ」骨喜店 Café Minerva の婢たり。容貌甚だ揚らず。面蒼くして軀瘦す。又才氣なし。兩人の情は今膠漆にも比べつ可し。原田の曾て藝術學校に在るや、チエチリア、プフアツフ Caecilia Pfaff といふ美人あり。エルランゲン Erlangen 府大學敎授の息女なり。黧髮雪膚、眼銳く準隆し。語は英佛に通じ、文筆の才も人に超え、乃父の著作其手に成る者半に過ぐと云ふ。余未だ親く其人に接せざれども、曾て其圖を原田の家に見るに、才氣面に顯れ、女中の大丈夫たること、問はでも知らるゝ程なりき。此女子藝術學校に在りて畫を學ぶ際原田と相識り、交情日に渥く、原田の爲めに箕箒を執らんと願ふこと既に久し。然れども原田は毫も動かさるゝこと無きものゝ如くなりき。而るに今や此一小婢の爲めに家を營む。余は怪訝せざることを得ず。盖し原田の意、チエチリイは良家の女なり、若しこれと約せば一生の大事なり、マリイは旗亭の婢なり、以て一時の歡を爲すに足るといふに在らん。抑〻チエチリイの如き才女と婚を約すると、マリイの如き才なく貌なき婢と通ずると、孰れか快く孰れか快からざる。且チエチリイは資產あり。嘗て原田と俱に私財を擲ちて巴里に遊學せんと議したりと云ふ。マリイの父母は貧窶甚し。他日の紛紜恐らくは免れ難からん。要するに原田の所行は不可思議と謂ふべし。原田は素と淡きこと水の如き人なり。余平生甚だこれを愛す。故にその此の如き行あるや、余又甚だこれを惜む。

十八日。晚餐後一碗の骨非を喫せんとて、東洋骨喜店 Café Orient に入る。隣房余を呼ぶ者あり。顧視すれば匈牙利の人チルチエル Zilzer なり。白面矮軀、美髯あり。美術修行は名のみにて、骨非店に居諸を送る懶惰漢なり。是より先き、余岩佐とチルチエルに此家に會ふ。他余等の名刺を請ひ得たり。後數日巴里產の歌妓ミルラ Myrrha と相識る。ミルラ岩佐の名を聞く。驚いて曰く。曾て一白皙人に逢ふ。自ら岩佐と稱す。妾に刺を贈れり。亦日本人なりと。因りて請ひて其刺を見る。眞成に岩佐の物なり。以て岩佐に示す。岩佐の曰く。此刺は製してより後未だ日を經ず。曾て一靴匠に與へしことあると、チルチエルに贈りしことあるとのみ。且刺背佛文數行あり。チルチエル佛語を善くす。是れ其贈者たること必せり。我名を濫用すること此に至る。忍ぶ可きに非ず。好し、彼をして一驚を喫せしめんと。乃ち東洋骨喜店に至