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汽車に上りてミユンヘンの居に歸る。

二十五日。榊俶ザルツブルク Salzburg より至る。癲狂病院を巡視する途次此を過ぐるなり。土地案內は岩佐に委任し、余は夜のみ酒店にて會話することゝ定めたり。

二十八日。加藤照麿伯靈より來る。加藤は試驗畢りて學士の稱を受く。昔三昧橋畔小幾孃の家を訪ひたる風流の餘習全く除かれ、日間はハインリヒ、ランケ Heinrich Ranke の許に往きて小兒科の講を聽き、初夜東洋骨喜店 Café Orient の園中に至りて一盞の麥酒を傾くるを樂む。行止溫和、共に坐すれば春風の中に在る心地す。

二十九日。原田加藤及岩佐とアマリイ街 Amalienstrasse なる伊太利酒店 (Joseph Wisinteiner) に至り、「キアンチイ」Chianti を飮み「ポレンタ」Polenta を食ふ。「ポレンタ」は伊太利人の常食にして、我米飯に伯仲す。余は黑兒そばかきの如き者ならんと想ひしに、火の中てたるもの故、少しく堅く、味餘り美ならず。

六月六日 (日曜)。エムメリヒテエゲル湖 Tegernsee に遊ぶ。午前六時府を發し、汽車にてイザアルの流をグロオスヘツセルロオヘ Grosshessellohe の邊に橫ぎり、ダイゼンホオフエン Daisenhofen を過ぐ。此處ミユンヘン府水道の貯水所あり。シヤフトラハ Schaftlach にて車を換へ、グムンド Gmund に至る。卽ち湖畔なり。女子ありて綠帽羽を插み、楫を橫へ客を待つ。余等舟に上り、頃刻にして酒家 (Steinmetz) に近き岸に着す。此より先き湖上の光景を看るに、水天一碧、時に丘陵の眼界を遮るあり。近岸の處は流光水に漾ひ、一幅の畫圖の如くなり。酒家に午睡し、日暮府に歸る。

七日。夜ペツテンコオフエル師余を薔薇園 Rosengarten に招く。圓錐木戲 Kegelschieben を爲すなり。師は一代の耆宿なりと雖、遊戲する狀は我黨と殊なることなし。東洋人の自ら尊大にすると殊なり。

十三日。夜加藤岩佐とマクシミリアン街 Maximilianstrasse の酒店に入り、葡萄酒の杯を擧げ、興を盡して歸りぬ。翌日聞けば拜焉國王此夜ウルム湖の水に溺れたりしなり。王はルウドヰヒ Ludwig 第二世と呼ばる。久し