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所あり。余はヨハンネス、ランケ Johannes Ranke なり。平生人類學に從事す。若し君の小照を惠まれなば、余の喜これに過ぎじと。余の曰く。君の名は余日本に在るの日より知れり。所以者何といふに、君の生理書は余好みて讀み、大に裨益を得たるを以てなり。余が像は敢て惜まず。唯だ君の圖と交換することを願ふのみと。ランケ諾す。別れてエムメリヒと車に上る。途上一工塲を望む。屠塲の骨を集め、膠及肥料を製する處なり。既にして車グロオスヘツセルロオヘ Grosshessellohe に達す。更に衷甸を僦ひ、村に向ひて馳す。左方にイザアル Isar の流を望む。城ありて水に枕む。塑像に名あるシユワアンタアレル Schwanthaler の舊居なり。今一英婦人に屬す。城を距ること未だ幾ならず、ヘルリイゲルスグロイト村を得たり。河畔の小村落にして、一酒家あり。其小亭に外科器械繃帶及格鬪に用ゐる武器を備へ、鬪塲を程近き丘上に設けたり。亭と鬪塲とに往くには、林下の小逕を過ぎざる可からず。此逕には一學生ありて來者を誰何す。葢し警察吏の闖入を防ぐなり。抑〻獨逸の國法決鬪を嚴禁して、而して實は隨處にこれを行ふものは、官默許して問はざることの致す所なり。就中大學生の如きは、その爭を法廷に見ることを喜ばず。故に警察吏を防ぐと曰ふは、主としてその偶〻至るを防ぐのみ。鬪塲には大學生數十人叢立す。中央に鬪者對立す。各一介者 Sekundant あり。鬪者の物の具附けたる樣又奇怪なり。決鬪の鎧は名づけて鬪衣 Paukwichs といふ。その劍は名づけて鬪刀 Rappier といふ。介者は大庇の帽を戴き、鬪者は其頭を露せり。腹卷は上、胸に及べり。介者は大なる領 Cravatte を纏へども、鬪者は革帶の廣きを幾重ともなく頸に卷き附けたり。腕は肩より以下一面に之を包み、手には革の手袋を穿てり。其他大なる眼鏡を以て目を障ふ。鏡は望遠鏡の如き筒を備へ、硝子は嵌せず。逆上して面色朱の如き鬪者が此眼鏡を掛けたる樣は、恰も新に釜中より出でたる章魚の如くなり。介者は號令す。構へよ Auf die Mensur ! の語にて刀を交へ、擊て Los ! の語にて揮ひ、止めよ Halt ! の語にて止む。二三度刀を打ち合はする每に、休憩 Pause し、刀の屈曲せるを撓め直す。此役は鬪者の右に在るものこれに任す。介者は左に在り。休憩を除き、十五分にて鬪止む。互に握手して和を講ず。刀は甚だ鈍し。然れども瘡骨に及ぶこと稀なりとせず。此日十數對の鬪あり。葢し數月間の券を折るなるべし。一對を部 Partie と名づく。一部の瘡を療する間には他部物の具を着く。是の如きこと終日なり。夜又