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余を訪ふ。ポルトと語ロオトの事に及ぶ。ポルトの曰く。ロオトは他日獨逸國軍醫總監たるべき人なり。遲くとも皇太子フリイドリヒ Friedrich 殿下卽位の日には此任官あるべし。皇太子とロオトとは交情太だ厚く、相爾汝すること既に久し。然れども其負氣倨傲 (geniale Unverschaemtheit) は余の喜ばざる所なりと。余其意を問ふ。曰く。古來薩索尼國大學敎授の助手は必ず新學士より採用す。而るにロオトの軍醫監に任ぜられて、薩索尼の軍團に入るや、古例に遵はず、悉く其部下の軍醫を以て助手の員に充てたり。而して世人敢えて議することなし。豈英雄人を欺くことの甚だしき者に非ずやと。此日シユワアンタアレル街 Schwanthalerstrasse なる素食厨 Vegetarianerkueche に午餐す。素食敎 Vegetarianismus は植物のみを以て人間の眞成なる食料となすものにして、此店は此輩の爲に設けたる料理店なり。ミユンヘン府は世界知名の榮養論者フオイトの在る地なるに、猶此妄說を奉ずる者あり。豈奇恠ならずや。客十人あり。中に女子二人あり。給仕は女子なり。其献立左の如し。

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Kraeutersuppe
Erbsenpurée
Hirse
Kaiserschmar
Zwitschen oder Aepfelcompot
Fruchtsaft
Apfelwein

醬油を加へざる野菜料理なれば其無味は論なし。醫學生徒九人とアンデツクス Andechs に遊ぶ。午前六時家を出で、滊車に上りてスタルンベルヒ Starnburg に至る。地スタルンベルヒ湖 Starnbergersee oder Wuermsee に臨む。此より步してアンデツクスに抵る。村を過ぐること四五。路傍耶蘇磔柱の像多し。村民加特力敎を奉ずるに因るなり。行くこと三時間アンデツクスの丘に達す。丘湖に臨む。アムメル湖 Ammersee と名づく。丘上寺院あり。住僧に請ひて什寶を見る。後院內の釀房 Braeustuebl に酌む。僧ヤアコツプ Jacob といふ者あり。釀酒管長たり。肥大にして遲鈍。家猪と髣髴たり。酒を行る者も亦皆緇衣。余覺えず絕倒す。余客と皆醉ふ。歸途車を倩ふ。所謂梯車 Leitwagen なり。エムメリヒは毛布を纏ひ、尖帽を戴き、長竿頭に古靴を結び付け、之を推し立てゝ車首に坐す。生徒等皆狂歌す。興を盡して歸る。