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嶽を望む。余初め此家を僦す。曾て此奇觀あるを慮らず。自ら迂濶を笑ふなり。此日師余を延いてフオイト Carl Voit を見る。亦白頭の人なり。師に比すれば言動稍〻圭角あり。

十八日。午前七時ワアルベルヒの伯林に之くを送る。石黑石坂の書至る。夜岩佐新を訪ふ。新と速記法を講究すること此夜を以て始とす。

二十日。再びフオイトを生理學部に訪ふ。其裝置を觀る。

二十一日 (日曜)。岩佐と酒店「サント、ペエテル」St. Peter に午餐す。

二十四日。拜焉國第二步兵聯隊の士官とルイトポルド街 Luitpoldstrasse なる酒店「シヨツテンハンメル」Schottenhammel に會す。

二十五日。畫工原田直二郞を其藝術學校街 Akademiestrasse の居に訪ふ。直二郞は原田少將の子なり。油畫を善くす。

二十九日。家書至る。

四月三日。岩佐と神女堡 Nymphenburg に至る。往くに滊機街車 Dampftrambahn を用ゐたり。其製鐵道馬車の如し。之を行るに蒸滊を以てす。然れども速力甚だ大ならず。堡はアデルハイド、フオン、サヲエン Adelhaid von Savoyen の創築に係る。苑囿の狀佛蘭西を摸す。故に人呼びて第二のヱルサイユ Versailles 城と爲す。大理石像多し。池沼あり。水淸澄。游魚多し。

九日。家書又至る。

十二日。波蘭人クペルニツク Coupernik と邂逅す。樂人なり。曾て來責府に在り。余と同じくフオオゲル氏の家に午餐す。今ミルラ Mirrha と呼ぶ巴里の歌妓と漫遊す。狂態想ふ可し。

十八日 (日曜)。大佐ベルリイ、デ、ピノ Joseph von Belli de Pino, 軍醫正ポルト、一等軍醫ヱエベル等來りて