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灑ぎたり。別に臨みて曰く。余君を見ること他の索遜に來遊せる醫官と同じからず。君は實に我良友なり。請ふらくは時に安否を報じ、余が意を慰めよと。乃ちペツテンコオフエル Pettenkofer に與ふる書を托せらる。葢し紹介狀なり。午後九時汽車に上りて德停府を發す。ミユンヘン府に赴くなり。余が留學年も早く既に半を過ぎたり。衞生學には許多の專家あり。獨りホフマンにのみ從ひ居らんこと策の得たる者に非ず。是れ余のミユンヘン府に赴きペツテンコオフエルを訪はんと欲する所以なり。來り送る者を兩ヰルケ、志賀泰山及松本脩と爲す。志賀、松本は余と同じく汽車に上り、タラント Tharandt に歸れり。同行者を魯醫ワアルベルヒとす。是より先き余軍醫ヰルケワアルベルヒと車を同くす。途上交誼の厚薄を論ず。既にして相誓ひて曰く。今より相諼れざること兄弟のごとくならんと。遂に相呼びて爾と曰ふ。ワアルベルヒは醫にして詩人なり。好みて傳奇を作る。其作中芬蘭の劇場にて世人の喝采を博したる者甚だ多し。年既に五十に近けれども、活潑々地少年の人の如し。常に芬蘭を以て故國と爲す。其魯國に屬するを甘んぜざる者の若し。ワアルベルヒは余と俱にミユンヘンに至り、是より來責伯林ストツクホルム Stockholm を經て、其鄕ヘルシングフオルス Helsingfors に歸るなり。

八日。天明車窓より地方を望見せんとするに、氷紋の爲に障碍せられ、一斑をだに窺ふこと能はず。卽ち刀を拔いて之を削る。只見る飛雪天に滿ち、車は已に拜焉國境を踰えたるを。彼北獨逸の百里の平野には似もやらず、丘陵起伏、松柏鬱茂せり。農婦を見る。紅或は綠の布を纏ひたり。葢し古の俗なり。午前十一時ミユンヘン府に着し、獨帝客舘 Hôtel Deutscher Kaiser に投ず。岩佐新を鐘街 Glockenstrasse № 12 (Fraeulein Schmidt's Pension) に訪ふ、逢はず。此日街上を見るに、假面を戴き、奇恠なる裝を爲したる男女、絡繹織るが如し。葢し一月七日より今月九日 Aschermittwoch に至る間は所謂謝肉祭 Carneval なり。「カルネ、ワレ」carne vale は伊太利の語、肉よさらばといふ義なり。我舊時の盆踊に伯仲す。夜ワアルベルヒ ゲルトネルプラツツの Gaertnerplatz 劇塲に入る。後中央會堂 Centralsaal に至る。假面舞盛を極む。余も亦大鼻の假面を購ひ、被りて塲に臨む。一少女の白地に綠紋ある衣裳を着、黑き假面を蒙りたるありて余に舞踏を勸む。余の曰く。余は外國人なり。舞踏すること能はず。女の曰く。然らば請ふ來りて