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アンハルト停車塲 Anhalter Bahnhof に至る。八時三十分德停府に歸る。

二十四日。夜一等軍醫ミユルレルの筵に赴く。ミユルレルは嘗て來責府に在りてホフマン師の助手たり。其軍裝水を受くる試驗は載せて衞生記錄 Archiv fuer Hygiene に在り。同じく招かれたる人々の中書籍舘吏ホヨオブレル Hoebler 夫婦あり。ホヨオブレル余と日本の風俗を談ず。其婦白皙頗美なり。此夜主婦を延いて食卓に至り、其傍に坐す。

二十五日。フライタハ Freytag の著祖先錄 Ahnen を田中正平に贈る。句を題して曰く。

Wie auf dem kleinen Schiff in Sturmeswuth
Nach einem Ziel' Gefaehrten streben,
Wie in der Schlacht der Kameraden Muth
Sie nicht verlaesst auf Tod und Leben,
So ringen wir gewiss zu jeder Stund'
Um Ruhm des Vaterlandes allein.
Als Zeichen vom geschloss'nen edlen Bund
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Berlin, am 25. Februar 1886
Dr. Rintaro Mori,

是より先き余の諸友と伯林に會するや、座間北里柴三郞田中正平と爭論したり。北里の曰く。凡そ三學部の卒業生は醫學部の卒業生を蔑視す。余其何の意なるを知らす云々。北里の言或は當る所も有る可けれど、此會に來りて此語を發す。固より宜きを得たりと謂ふ可らず。余素と田中と相識る。翌田中を訪ふ。其抗抵せざりしを謝す。田中余に贈るに戲曲及演劇史を以てす。余其意を感す。故に此贈あり。

二十七日。此日軍陣衞生學の講筵を閉づ。是を講習會の終と爲す。夜三等軍醫ヘツセルバハ Hesselbach をアウセンドルフ Aussengorf の酒亭に餞す。ヘツセルバハは面上縱橫刀痕を殘し、性激怒し易き人物なれども、神を信ずることの厚き、妄語を嫌ふことの嚴なる、大に取る可き所あり。常に余を呼びて化外人 Heide と爲す。余の耶蘇宗に轉ぜざるを罵る。

二十八日。軍醫正チイグレル Ziegler の筵に赴く。隣席の女をグリイマン氏 Fraeulein Gliemann といふ。紅