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ノ」に聽く。

二十二日。中濱東一郞の書伯林より至る。

二十六日。醫師ヰルケの生誕なり。バイロン Byron 詩集一卷を贈る。中濱東一郞伯林より至る。停車塲に迎ふ。中濱の曰く。伯林に着せし時は此快なかりきと。四季客舘 Hôtel zu den vier Jahreszeiten に投ぜしめ、伴ひてヘルマン Herrmann 酒店に入る。店は城街 Schlossstrasse に在り。主婦をベルタ Bertha と云ふ。頗る美。此日ロオト余に贈るに小照を以てす。

二十七日。中濱と共に劇を觀る。後ロオトの瑞典國人某等とアウセンドルフ Aussendorf に在るを聞き、往いて會す。

二十八日。中濱來責に赴く。家書至る。

二十九日。夜地學協會の招に應じ、日本家屋論を演ず。此夕の演者は余一人のみ。然れども新聞の廣吿を見て來り聽くもの堂に滿つ。酒を賣る少女エンマ Emma その多く售れたるを謝す。タラントの志賀も亦來り聽けり。

三十一日 (日曜日) 。午前十一時闕に赴く。新任士官と俱に妃に謁す。其式。余等一堂に環立して竢つ。妃出づ。一宮女隨ひ來りて閾の邊に留る。一宦者名簿を手にし、人每に其名を呼ぶ。妃其人に對して一二語を交へ、右手を伸ぶ。余等之を把りて接吻す。夜工兵士官二三人と猨馬戲 Circus Herzog を看る。侏儒を「クラウン」Clown と稱す。戲謔百出、人の笑を博す。

二月二日。萩原三圭の書至る。曰く。今日は豚兒午生ウマヲの生誕なり。午生は明治十七年二月午日午時を以て生れたり。爲めに一詩を作りて寄せば幸甚しからんと。余筆を援いて左の數句を成し、郵筒に附す。

寄萩原國手賀令息午生君誕辰
明治十七年二月午日午時擧一兒呼爲午生眞天造嘉祥
若此誰復疑吾與乃翁相識久稜々逸氣老不衰賢郞又曾
寄小照龍種早已現嬌姿君不見曰午曰馬乾之象由來健
行不敢遲他年展足向何境文耶武耶法耶醫應比良驥奔
千里能紹其氣遂有誰逢此佳辰獻詩句顧我駑劣獨自嗤
雖然諂諛丈夫媿一語又須存箴規聞說駕御術非一莫忽